外国語学習における真正性とは?


「真正性」、英語ではAuthenticity

言語教育において「真正性」というのは、学習者の日常生活の中で見聞きするものや経験する、真実味があることを意味します。例えば、地下鉄の駅の放送をそのまま日本語教育の教材にすることは、地下鉄を日常的に使用する学習者にとって、「真正性」が高いことになります。

この「真正性」というのは、言語教育の中で重要性が主張されるようになってきたのは80年代後半に入ってからです。それまでは機械的に文法や語彙など教える学習が主流でした。実践的なコミュニケーション能力の定義やその育成については70年代から言われていましたが、「真正性」が必要という話が論文上で言われるようになって来たのは80年代後半あたりからです。

90年代に入り、ビジネスシーンで英語などの外国語を使用する状況が増え、特定目的のための英語教育であるESP(English for Specific Purposes)、特にEnglish for Business Purposes(EBP)の必要性が高まってきました。このあたりから「真正性」と言う言葉が論文上で急増してきます。ビジネス英語はEBPの最たるものです。

しかし、この「真正性」に関する言葉。研究者によって、定義の厳密度が違っていて、どこまでを真正性が高いものというのか、研究者や実践家について頭を悩ますものでした。例えば、学習教材の中に地下鉄の放送ダイアログがあるだけで、「真正性」が高いというものもありますし、リスニングなどで実際の放送を教材としなければならないとまで言う研究者もいます。タスクベースの言語教育においては、インターンのように、実際の現場まで行って、外国語を使用する業務を体験させないと、それは「真正性」が高いなんて言えないという研究者もいます。

「真正性」の定義について厳密度が研究者の間で違うのですが、現実的な教育シーンを考えると、学習者のニーズや日常生活における経験を分析し、教材に落とすことができるか。ここがポイントになると思います。

しかし、この「真正性」の効果について検証した研究は本当jに少ないです。本当に「真正性」が高い教材は学習効果があるのか?あるならば、どういうプロセスで学習効果が高くなるのか?

言語教育において、この点については議論がなされず、何かわからないけど、効果がありそうだという感じでESP、EBPが進んでいるように思います。

私がさらにポイントだと思うのが、「真正性」が高いと感じる条件です。例えば、修士1年の学生に「(締切直前までに間に合わせるという心構えでは)修士2年で痛い目に合うよ」と忠告しても、たぶん当該学生には伝わらないと思います。修士論文の執筆は大変つらいもので、実験計画、実験の実施、分析とこの2年間の努力の結晶と言えるものですが、日本の学生に限った話ではないかもしれませんが、まあ、普通、そこまで真剣に勉強する学生なんていないわけです。修士ならば学部に比べてもっと勉強してもいいものなのですが。しかし、ほとんどの修士2年の学生が体験することで、通常ならば「真正性」が高いと認識されて当然のことです。

ですが、学生によってはこの「真正性」を認識されず、聞き流されるというのは、当該学生にとっては「真正性」が高いとは言えないということになります。

自分の直接的な利益が関わる「緊急性」や問題の「深刻さ」というもの、これは「真正性」に包含されることかもしれませんが、何か「真正性」を高くする条件はあると思います。

この研究はなにか泥沼化しそうですが、評価する観点、実験デザインをしっかりすると面白いものが見えそうですね。

もし興味がありましたら、この文献は面白かったので、読んでみてください。

HERRON, C., MORRIS, M., SECULES, T. and CURTIS, L. (1995) A Comparison Study of the Effects of Video-Based versus Text-Based Instruction in the Foreign Language Classroom, The French Review. 68(5): 775-795

HUTCHINSON, T. and WATERS, A. (1987) English for Specific Purposes. Cambridge University Press, Cambridge, UK