九州大学 山田研究室

マイノリティのキャリア形成を考える-ENAを用いた「未来の自己」探求プロセス分析を通して-

2025年12月15日

皆さん、こんにちは。
この記事では、英語文献ゼミで読んだ論文とその感想について紹介します。

著者: Yiyun“Kate” Fan , Amanda Barany & Aroutis Foster
巻ページ:10(1)1-22
出版年:2023
ジャーナル: International journal of STEM education

1. 研究の背景と目的:なぜSTEM分野で多様な人材が必要なのか?
この論文では、科学、技術、工学、数学(STEM)の分野における、人種や民族などのマイノリティに属する人々のキャリア形成に関する問題を是正する必要性に着目しています。その中でも、自身の将来の可能性や目標を考える「アイデンティティ探求」を促す活動は、学生のキャリア形成に大きく貢献することを先行研究から主張しています。
しかし、従来のアイデンティティ研究には、いくつかのギャップがあるとしています。

・「現在」に偏った視点:多くの研究では、学習者が今持っているアイデンティティに焦点を当てており、「将来、自分はどうなりたいか」という「ありうる未来の自己(Possible Future Selves)」についてどのように内省し、意味を形成していくのかというプロセスは十分に探求されていません。

・学生中心の視点:研究対象が主に学生に偏っており、すでにキャリアを歩んでいる社会人との比較や、長期的な視点からアイデンティティがどう変わっていくかを捉える研究は限定的でした。

・質的データの活用不足:大規模なアンケート調査データに頼る傾向があり、個人が自分の言葉で語るアイデンティティ探求の質的ニュアンスを深く捉えきれていません。

この論文では、これらの課題を乗り越えるため、大学生と卒業生というキャリア段階の異なるマイノリティ個人に焦点を当て、アイデンティティ探求について語る際の思考パターンや概念の結びつきを、インタビューデータを用いて分析することを目指しています。
リサーチクエスチョンを「マイノリティの学生と卒業生は、STEM における『ありうる未来の自己』の内省を求められた際に、アイデンティティ探求プロセスをどう記述するか?」と設定しています。

2. 研究の方法
定量的エスノグラフィーの活用 「ENA」について
この論文の目的である「学生」と「卒業生」という2つのグループ間での思考パターンや構造の違いの比較を実行するために、インタビューデータを用いながら、思考の構造を「定量的に比較し可視化できる」、認識論的ネットワーク分析(Epistemic Network Analysis,ENA)という手法を採用しました。
ENAは、会話データの中で、特定の概念(コード)がどのように「共起する(一緒に現れる)」かを測定し、その関連性のパターンをネットワークモデルとして可視化する手法です。これにより、例えば「行動」という言葉が「不確実な未来」という言葉と強く結びついているのか、それとも「自己効力感(自分の能力)」と結びついているのか、といった思考の構造の違いを統計的に検証することができます。
対象と分析プロセス
参加者:米国の高等教育機関の連合体(Northeast AMP)のプログラムを受講した、マイノリティの学生11名と卒業生10名の計21名が対象となりました。卒業生には、卒業年が1995年から2021年と幅広く、多様なキャリア段階の個人が含まれています。
データ収集:半構造化インタビューがZoomで約1時間行われ、STEM分野における「ありうる未来の自己」の探求プロセスについて内省を促す質問への回答部分に限定して分析が行われました。
分析プロセス:インタビューのテキストデータから、繰り返し現れるテーマ(例:「現在の興味」「行動の実行」「不確実な未来」など)を12個のコードとして特定し、これらのコードが談話の中でどのように結びついているか(共起しているか)をENAで分析しました。

3. 研究の結果:キャリア段階による思考パターンの違い
ENAによる分析の結果、「ありうる未来の自己」について語る際の学生と卒業生の思考パターンには、統計的に見て有意な差が存在することが分かりました。
学生群の思考パターン 「オープンエンドな探求」
学生グループの思考パターンは、「行動の実行 (Taking Actions)」という概念がネットワークの中心となる、明確な構造を示しました。
この「行動の実行」は、特に以下の3つの概念と強く結びついていました。
・不確実な未来 (Less Certain Future)
・現在の興味 (Current Interest)
・未来のキャリア分野 (Future Career Field)
このパターンは、学生たちがまだ具体的なキャリア目標を明確には持っていない(不確実な未来)段階にありながらも、自身の現在の興味を探求するために、インターンシップや教員探求プログラムなど具体的な行動を積極的に取っていることを示唆していると筆者は述べています。論文の中では、この段階を「オープンエンドな探求」と解釈しています。また、学生たちの思考パターンは比較的均一であり、大学の支援プログラムを通じて同様の探求プロセスを経験している可能性も示されました。

卒業生群の思考パターン 「複雑で個別化された統合」
一方、卒業生グループの思考パターンは、学生とは対照的でした。
分散型のバランス:特定の概念が中心となるのではなく、多様なテーマにわたって関連性が分散した、バランスの取れたパターンを示しました。これは、キャリアを通じてアイデンティティ探求が、より全体的で複雑なものになっていることを示唆しています。
自己効力感との関連:卒業生においても「行動の実行」は頻繁に現れましたが、学生のモデルが「不確実な未来」と結びついていたのに対し、卒業生はむしろ「自己効力感 」(自身の能力やスキル)と関連する傾向が見られました。
このことは、卒業生たちが、自身の能力や興味、キャリアを進める上で必要となる具体的なスキルを明確に認識した上で未来を構想していることを示唆していると考えられています。
また卒業生個々の思考パターンは、学生よりも多様性に富んでいました。データが広く分散していることは、卒業後の多様なキャリアパスや社会経験が、それぞれのユニークな「個別化された」アイデンティティ探求プロセスにつながっていることを主張しています。例えば、ある卒業生は自身の能力を「自己定義」と結びつけ、別の卒業生は具体的な「行動」や「未来のキャリアロール」と結びつけていました。

4. 考察と実践的示唆
アイデンティティ探求は継続し、進化する動的なプロセスである
この論文では結果について、アイデンティティ探求がキャリアの段階に応じてその性質を変化させる、動的なプロセスであることを示していると主張しています。
学生に見られた「不確定な未来でも、現在の興味に基づいて積極的に行動を起こす」パターンは、アイデンティティ探求が意図的で目的志向的なプロセスであるという先行研究の主張を裏付けています。未来が定まっていなくても、行動を通じてアイデンティティを能動的に形成しようとしていることを表していると考えられています。
一方、卒業生の探求プロセスが多様化したことは、キャリアが進むにつれてアイデンティティ探求が停止するのではなく、むしろ複雑で個別化された形で継続すると述べています。
この発見は「大学の支援プログラムの効果が卒業後数年で減衰するように見える」という先行研究上の指摘を、「成功した成熟の証拠」として捉え直す新たな視点を提供します。すなわち、大学プログラムによる画一的な支援から卒業生が脱却し、それぞれのユニークなキャリアパスを歩む中で、多様で個別化された成長経路へと分岐していくプロセスを反映していると解釈できるとしています。

この論文の結果は、マイノリティ学生を支援する高等教育プログラムの設計と実践に、以下の2つの具体的な可能性を示唆しています。
学生に対する幅広い機会提供の重要性: 学生が「オープンエンドな探求」の段階にあることを踏まえ、プログラムは、興味を多角的に探求できるよう、多様なSTEM専攻やキャリア経験への幅広い機会を提供することが重要です。具体的には、多様なテーマを扱う学生団体の活動支援や、さまざまな業種でのインターンシップの拡充などが挙げられます。
学生と専門家(卒業生)との連携強化: アイデンティティ探求のプロセスが、卒業後の「具体的・専門的な構想」へと移行していくという発見は、キャリアの異なる段階にいる人々をつなぐことの価値を強調しています。特に、現役学生と、同じくマイノリティの背景を持つ卒業生(専門家)をつなぐメンターシップやネットワーキングの機会は非常に有益です。これは学生が「ありうる未来の自己」をより具体的に、かつ現実的にイメージするための強力な支援となり得るとも述べられています。

5. 結論と今後の課題
この論文は、従来の学生中心・現在志向の枠組みを超えて、卒業生を含む長期的な視点から「未来の」アイデンティティ探求を捉えた点で学術的に貢献しました。また、ENAという手法が、インタビューという質的データのニュアンスを損なうことなく、グループ間の思考パターンの違いを客観的に可視化・比較する上で有効であることを実証しました。
今後の課題として、一時点のインタビューに基づく横断的研究という限界を克服するため、同一の集団を長期間にわたって追跡する縦断的研究を行い、アイデンティティ探求の変容プロセスをより詳細に解明することや、人種、専門分野、支援プログラムの種類といった詳細な属性別の比較分析を行うことの必要性も記述されています。

以下は、この論文を読んだ私の感想です。
キャリア教育の分野において、インタビューなど質的なデータをENAによって量的に扱う事例に興味があり、この論文を選びました。自己のキャリアに関する未来像について、内容の関連を捉えてキャリア成熟を考察するという方法に関して非常に参考になりました。また学生だけでなく卒業生との比較をしたことにより、生涯を通したキャリア形成を踏まえた介入を考えるヒントになると思われます。例えば高校生段階において、社会人の仕事やスキルの複雑さについて認識し、現在の興味がどのように将来の分岐に影響するか体験できる学習が、どのようにキャリア意識の形成につながるか、といった方法も考えられます。
一方で研究の限界にあるように、この結果ではプログラムの内容自体の効果を評価することはできていません。どういった効果を狙った介入プログラムが、長期的にどう作用したのか、個人の変容を見ることも今後必要になると思います。
また、対象に関してなぜ「マイノリティ」という性質に限定したのか?マイノリティの状況に応じた研究デザインをどのように行ったのか?という点についても気になりました。
今後、私の研究でも様々な分析や考察を通して、学習者の変容を様々な角度から捉えられるように考えていきたいです。

文責:尾﨑康平

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