九州大学 山田研究室

ラーニング・アナリティクスは教室に定着するか? 「知識専有モデル」からの視点

2026年02月24日

皆さん、こんにちは。修士2年の樋口尚宏です。
今回は、英語文献ゼミで私が紹介した論文を共有させていただきます。

今回取り上げるのは、教育現場への導入が進む「ラーニング・アナリティクス(学習分析)」に関する研究です。特に、先生方が新しいデジタル技術や分析ツールをどのように受け入れ、授業に取り入れていくのか、その心の変化やハードルを長期間にわたって追跡した興味深い論文です。

論文情報
・論文タイトル: Exploring Teachers’ Adoption of Learning Analytics Enhanced Pedagogical Practices: A Longitudinal Intervention Study
(ラーニング・アナリティクスで強化された教育実践の教師による採用の探求:縦断的介入研究)
・著者: Khulbe, M., Tammets, K., Ley, T., Coelho, R., Kurvits, J., & Cukurova, M.
・出版年: 2025
・掲載誌: Technology, Knowledge and Learning
・ページ: 1-23

1. 導入
近年、教育現場では「個別最適な学び」や「データ駆動型の指導」といった言葉の中で生徒一人ひとりの学習履歴や理解度をデータとして可視化し、それを先生が指導に活かすことが目指されるようになっていますが、実際に現場の先生方がこれを日常的に実践するのは容易ではありません。

今回紹介する論文は、数学の先生方を対象に、生徒の学習状況を分析・助言してくれる「LAダッシュボード(Learning Analytics Dashboard)」というツールを導入してもらい、約7ヶ月間という長期にわたって、先生方の意識や行動がどう変化したかを調査したものです。

この研究のユニークな点は、単に「便利なツールを作って渡してみた」という話ではないことです。「知識専有モデル(Knowledge Appropriation Model)」という考え方をベースに、先生方が新しい技術を「自分のもの」として使いこなしていくプロセスに焦点を当てています。

具体的には、先生方がツールに対する「信頼(Trust)」をどう醸成するか、そしてその信頼が最終的な「採用意図(これからも使い続けたいか)」にどう影響するかを分析しています。新しい技術が現場に定着するためには、機能の優劣だけでなく、使う人の心理や社会的な要因が大きく関わってくるのです。

2. 背景
教育工学の分野では、研究者が開発した「効果的とされるツール」が、実際の教室ではあまり使われない、あるいは開発者の意図とは全く違う使われ方をしてしまう、という問題が長らく指摘されてきました。

本論文ではその原因の一つとして、従来の開発が「人間中心設計(Human-Centered Design)」を十分に考慮していなかった点が挙げられています。つまり、先生方が日々直面している現場の文脈やニーズを無視して、技術的な新しさばかりを追求してしまっていたということです。先生方が新しい技術を効果的に統合するためには、「TPACK」と呼ばれる、テクノロジー(技術)・ペダゴジー(教授法)・コンテンツ(教科内容)の3つの知識を統合的に持っていることが必要だと言われています。しかし、現実には多くの先生方が、古い指導法を単にデジタルに置き換えるだけに留まってしまっているのが現状であると指摘されています。

そこで重要になるキーワードが「信頼(Trust)」と「透明性(Transparency)」と著者らは主張しています。
特に、AIやアルゴリズムが学習者にアドバイスをするような「助言型LAダッシュボード」においては、先生がそのツールを信頼できなければ、当然ながら指導には採用されません。ここでの信頼とは、「不確実な状況でも、自分の目標達成のためにそのツールを頼りにする態度」と定義されます。そして、その信頼を支えるのが、なぜそのアドバイスが出されたのかという「透明性」だということでした。

また、本研究では「知識専有モデル(KAM)」という枠組みを用いています。これは、先生方が新しい技術を採用する際、単に操作方法を覚えるだけでなく、同僚との協働や実践を通じて、その技術を自分の文脈に合わせて「取り込んでいく(Appropriation)」プロセスを重視する考え方です。研究者と教師がパートナーシップを組み、一緒にツールや授業を作り上げていく過程こそが、技術の定着には不可欠だという仮説のもと、本研究は進められました。

3. 方法
この研究では、エストニアの数学教師26名を対象に、「TIL4Math」という7ヶ月間の研修プログラム(TPDプログラム)が実施されました。期間は2022年11月から2023年4月で、月1回、6時間のセッションを行いながら、デザイン・実行・省察のサイクルを回していくという、非常に丁寧かつ濃密な介入が行われています。

プログラムの目的は、PISA(学習到達度調査)の枠組みに基づいた「数学的問題解決スキル」を生徒が身につけられるよう、デジタル教材とLAダッシュボードを活用した授業を先生自身が設計・実施できるようにすることです。

研究の流れは、大きく6つのフェーズに分かれています。

・Phase I〜II(理解・導入): まずは教育理論や技術(H5Pという教材作成ツールなど)について学び、議論します。この段階ではまだダッシュボードは操作しません。
・Phase III(対話・透明性): ここでLAダッシュボードのプロトタイプが登場します。データがどのように収集・分析されるのか、そのロジック(透明性)について説明を受け、システムへの理解を深めます。
・Phase IV〜V(共同設計・実装): 先生方はグループで協力して、実際に自分の生徒に解かせるデジタル教材を作成します。そして、まずはダッシュボードを使わずに教材だけを教室で実践します。
・Phase VI(完全実施・省察): 最後に、作成した教材と完成したLAダッシュボードの両方を使って授業を行います。ダッシュボードが提示する分析結果やアドバイスを参考にしながら生徒を支援し、終了後にはその経験を振り返ります。

データ収集には、先生方の「知識」「デジタルスキル」「ダッシュボードへの信頼感」「透明性の認識」、そして「採用意図(今後も使いたいか)」を測るアンケート調査が複数回行われました。さらに、プログラム終了時にはインタビューや記述式の回答といった質的データも収集し、数字の変化の裏にある先生方の本音を探っています。

4. 結果・議論
本研究では、介入による教師の変化(RQ1)と、採用意図に影響を与える要因(RQ2)について分析が行われました。

RQ1:介入による教師の変化(知識・信頼・採用意図)
まず、教師の「教育的知識」は研修を通じて有意に向上しましたが、「デジタルスキル」には統計的な有意差は見られませんでした。
「信頼感」は、プロトタイプを見た段階(Phase III)よりも、実際に教室で使用した後(Phase VI)の方が高まりました。現場で実際に機能する様子を確認することが、信頼構築に最も効果的だったと言えます。
一方、「採用意図」は単純な右肩上がりにはなりませんでした。当初の高かった意欲が、教材設計の段階(Phase III)で一度大きく落ち込み、実践後(Phase VI)に回復するという「V字型」の推移を辿りました。これは、理想的な教材を作る作業の複雑さに直面し、一時的に意欲が減退したことを示唆しています。

RQ2:採用意図を決める要因の変化
初期段階(Phase III)では、「ツールの信頼性」が採用意図を強く左右していました。しかし、最終段階(Phase VI)では信頼性の影響力は低下し、代わって「知識援用実践(Knowledge Appropriation Practice)」、つまり同僚と協働し技術を自分の実践に取り込んでいくプロセスへの関与度が、採用意図を決める最大の要因となりました。
つまり、最終的に使い続けたいと思うかは、ツールの性能よりも「自分たちの実践の一部として統合できたか」にかかっているのです。

課題
定性的な調査からは、「教材設計の負担」が大きな課題として浮き彫りになりました。教育理論に基づいた良質な教材作成には時間がかかるため、この負担感が、ツールへの信頼が高まっても採用意図が伸び悩む要因の一つとなっていたと考えられます。

5. 結論・限界点
本研究の結論として、教師が新しい教育技術(特にLAダッシュボードのような高度なもの)を採用するかどうかは、単なる技術的な要因だけでなく、社会的・心理的な要因が複雑に絡み合っていることが示されました。

特に重要な知見は、「信頼性」の役割の変化です。導入初期において、先生方に「このツールは怪しくない、信頼できる」と思ってもらうことは極めて重要です。しかし、いざ実践段階に入ると、信頼性は「あって当たり前」の前提条件となり、それ以上に「自分たちの実践にどう統合できたか」「同僚とどう協力して作り上げたか」というプロセスが重要になります。
したがって、教育工学の介入においては、ただツールを渡して説明するだけでなく、先生方が協働して授業を作り上げる「場」や「時間」を丁寧にデザインすることが、普及への鍵となると言えるでしょう。

もちろん、この研究には限界点もあります。参加者が26名と少なく、かつ自発的に参加した(モチベーションの高い)先生方であったため、一般的な学校現場全体にそのまま当てはまるかは分かりません。また、今回の分析では切り分けられなかった他の要因も影響している可能性があります。それでも、7ヶ月間という長期にわたって現場の先生に寄り添い、その意識変容を追ったデータは、今後の教育DXを進める上で非常に貴重な示唆を与えてくれています。

6. 選んだ理由と感想
私がこの論文を選んだ理由は、私自身も現在、現場の先生方に使っていただくLAD(ラーニング・アナリティクス・ダッシュボード)の開発と介入研究を行っているためです。特に、プロトタイプをどの段階で提示し、どのように先生方を巻き込んで評価していくかというプロセスについて、具体的な事例から学びたいと考えました。

感想として、まず「フェーズ」の設計が非常に参考になりました。システム開発側からすると、少しの機能追加でも「フェーズ」として区切り、先生方に段階的に触れてもらうことで、無理なく理解と納得感(専有)を深めていく手法は、今後の自分の研究デザインに取り入れたい点です。

また、評価にしっかりとしたフレームワーク(今回はKAMやTPACKなど)を用いている点も勉強になりました。単に「使いやすかったですか?」と聞くだけでなく、理論に基づいて意識変容を測定することで、なぜ採用意図が下がったのか、何が一番の要因なのかを科学的に説明できるようになります。

その一方で、ダッシュボードが提示する「助言(Suggestion)」の文章がどのように生成されているのか(ルールベースなのか、生成AI的なものなのか)、そして先生方がそれを授業中(リアルタイム)に見るのか、授業後の振り返りに見るのかといった具体的な運用場面については、もう少し詳細を知りたいと思いました。

いずれにせよ、現場の先生方と共に新しい授業スタイルを作っていくこの研究の姿勢には、大いに刺激を受けました。私も現場にとって真に価値あるシステムを開発できるよう、研究に邁進したいと思います。

文責:樋口尚宏

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