現実逃避


新年度になっていろいろ仕事があって、バタバタしていました。うれしいこともありつつ、辛いこともありつつ。がんばっていきます。

ちょっと面白そうな雑誌があったので、読んでみました。TRANSIT SORA 特別編集号 特集:空港と空、美しき空の物語。もともと旅行が好きなので、こういう雑誌は好きです。成田空港での人間模様が写真で撮られているのですが、実はモデル。びっくりした。彼ら・彼女が来ていた服が紹介されている。でも好きだね。こういうの。

あと成田空港のfacts(年間利用者数、何カ国に直行で行くことができるのか、ターミナル別の航空会社)や世界の空港でデザインがすばらしいもの、おもしろいものや、ありえない空港とか。

ありえない空港でしたね。ネパールとか、ブラジルとか・・・絶対に事故起こるよね!って言いたい。ネパールのエレベスト登山者が多く利用する空港なんて、滑走路が527mだって。みじかっ!!プロペラ機しか使えないみたいんだけど、プロペラ機でも通常1000mは滑走路がいるんだって。離陸失敗したら、谷底だね。標高2800mの崖にある空港だから。

あとオランダ、インドの特集も良かったし、旅に使える厳選アイテム20とか、面白かった。

あー、旅、したいな。学部のころや企業にいた時のようなバックパッカーはもうできんのかな。したい。

博士課程進学か企業就職か(長文です)


4月になりました。学部生、修士学生は進路についてしっかり考えるべき時が来ました。学部生はまだいいのですが、修士学生は今後の人生を大きく変える分岐点にいることは間違ないです。最近、某大学の修士学生から進路について相談を受けたので、お話をします(私の出身大学や勤務している大学の学生さんではありませんので。笑)。

博士課程に進むか、就職するか。これは大きな意思決定になると思います。研究を突き進んでいきたいという思いで博士課程を考える人も多いと思いますが、博士を取ることができるか以前に、自分が博士課程でやっていくことができるのか?ということを考える必要があると思います。学部のころに企業への就職活動をしたことがある方、就職活動の最初の段階で自己分析をしましたよね。「なぜ就職活動をするのか」、「なぜ企業就職なのか」、「なぜIT業界なのか」など自分が今までした経験などを基に考えましたよね。

企業の就職活動では問われる「経験」といっても、どういうアルバイトをしたとか、どういう資格を取ったとか、それは1つの目安や話すきっかけにしか過ぎません。その経験を積むために、どういう苦労があったのか、どういう喜びがあったのか、その経験をしたことで今の自分にどう活かされているのか、それを自分のストーリーとして語ることが大変重要になります。

博士課程は内部から進学する限り、企業のような面接はないですが、自分が博士課程でやっていけるのか、自己分析する必要はあると思います。そのためには博士課程とはどういうところなのか、ここはそれぞれの学校で変わるところですが、業績が何本必要か、どういう先生が審査につく可能性があるかなどそういうことだけではなく、自分の研究以外にどういうことをやらなくてはならないのか、指導教官はどれほど自分の研究に関わってくれるのか(通常、博士課程というのは、自分で進めていくものですが。英語でいうと「アドバイザー」なので)、研究費はどれほどあるのか、指導教官の考え方と自分の考え方は合うのかなど分析する必要はあると思います。ただ研究ができればいいというわけではないです。

私が思うに、「博士課程」でうまくやっていくことができる人は共通して

・体力がある人
・プライドが高くない人
・気持ちの切り替えができる人
・ある程度、空気が読めない人
・コミュニケーションができる人
・業績に貪欲な人

だと思うのです。体力は当然必要です。博士に入学した時点でゴールは3年後です(3年で修了させてもらえない大学もあるようですが)。とりあえずのデッドラインは決まっています。それまでに業績を上げなくてはいけません。健康管理も必要ですが、「えいやー!」で乗り越えないといけない時も多々あります。もちろん、3年で修了することを希望しない人もいるので、そういう方は自分のペースでやるのがいいと思いますが、3年で修了するためには深夜も夜通しデータ分析し、論文を書くくらいの体力は必要かと思います。

2つ目のプライドについて。プライドが高い人は他の方からの厳しい意見や、研究姿勢に対して批判されると、反抗する傾向があると思います。さらにそれが指導教官とか自分より目上の人からされると、立ち上がれなくなるくらいショックを受けることが多いようです。そこから2,3日で立ち上がってくるといいのですが、タチが悪いとずっと学校に来なかったりします。「知識は十分あるのに、研究はうまくいかないこと」とか、「修士までは優等生だったのが、博士課程になったとたん、指導教官に怒られることが多くなる」とか、さまざまな辛いことを博士課程では経験すると思います。精神的にタフでないとやっていけない世界です。「なにくそ」精神は必要だと思いますが、変にプライドが高いとヘコむことが続き、立ち直れなくなります。そういう人は行方不明になったりします。これは大変良くないことです。基本的に「上から目線の人」がこういうことになる傾向が強いように思います。自分が持ち上げられている時は気分が高まって、自分が質問される側などに立って、厳しい状況になるとヘコんで、立ち上がってこない・・・これはちょっと問題ですね。

3つ目の気持ちの切り替えができる人。これも重要です。2つ目に通じることもありますが、指導教官からは手厳しい指導が入りますし、時には理不尽と思ってしまうこともあります。それで怒られることもあります。でも、気にせずに翌日は頭を切り替えましょう。それをいちいち気にしてたら何も進まないので、「すみませんでした。すぐに取りかかります」と言いましょう。よくあることです。あと、学会へ論文を出さないといけないのですが、時には返戻されることもあります。最初はかなりショックです(私も今まで8回返戻を喰らっています)。私は立て続けに最初に3本落ちたのですが、3本目が落ちた時は「悔しい」という気持ちよりも、「私はもうダメではないか」と、気持ちがズタズタにされてしまいます。

4つ目の「ある程度空気が読めない人」というのは、自分が言いたいことを目上の方にも言うことができるということです。博士課程というのは上下関係がしっかりしているところもありますので、当然、目上の方、特に指導教官や審査教官への言葉づかい、指導教官・審査教官からの指導内容に関する対応などは気をつけなければなりません。しかし、自分の考えなども指導教官方々へご理解頂かなければならないこともあります。そこは従順な部下というよりも、モノ申す部下の方がいいこともあります。またある程度KYな人というのは、上の3つがうまくできる人が多いような気がします。それは私の経験ですが。

5つ目のコミュニケーションができることなのですが、研究というのは最後はやはり個人で考えて、実施しなくてはいけません。しかし、研究について話をするとか、提案をしてもらうこと、先輩とかにいろいろ教えて頂いて、作り上げていくというプロセスも重要なのです。これはまるで1つのプロジェクトのような感じでしょう。博士課程というのは指導教官から指導を受けることが稀で、1人前の研究者になっていくための育成でもあります。そのため、指導教官以外からもいろいろな意見や知識を仕入れて、自分でやっていかなければなりません。その過程ではコミュニケーションがうまくできなければなりません。またコミュニケーションとは違う話になりますが、自分だけTakeするのではなく、相手にもGiveできるように自分も勉強し、専門家とは言わないまでも、他の研究者、指導教官よりも知識がある人になる必要がある思います。

6つ目の業績に貪欲であることなのですが、確かに業績だけを求めて研究をするのはいかがなものかと私も思います。ですが、自分が研究者として生きていくためには自分がやっていくことを周りへ公表し、議論していく場も必要になります。論文というのは、業績でありつつも、自分と論文執筆者との考えの相違を感じることができるいいものだと思います。直接的に研究に関係しなくても、間接的に読者の研究に貢献することができます。大きな目標というとそういうことになるのですが、博士課程では目の前のことになりますが、業績がなければ、修了することができません。どんなデータでも論文にする、何かしらの成果として残すという姿勢が必要だと思います。国際会議発表は博士課程の中で大変重要な位置づけになります。自分がやっていることが世界の研究者の中でどう理解されるのか、いい機会になりますし、世界の研究者とのコネクションもでき、情報交換としても大変有効な場となります。大変お金がかかることですが、論文誌への投稿や国際会議は積極的にすることが求められます。

ただ、自費でもない限り、お金は自分でグラントを取るか、指導教官に出してもらうことになると思います。後者の場合が多いと思いますが、自分で先輩、同級生、後輩から自分の研究について意見をもらい、練り上げて、指導教官に「国際会議で発表させてください」と説得できる内容にすることが必須になりますが。一種、営業活動ですよね。

長くなりましたが、もし「博士課程に行きたい!」と思う方は先輩などにお話を聞いて、本当に自分でやっていけるのかどうか、一度立ち止まって、振り返って、自己分析してみてください。

私は企業等に就職することが悪いと思っていません。企業に行っても、博士に戻ることができますが、博士に進学すると、博士の企業就職があまり支援されていない日本では企業就職が難しいと思います。今は徐々に変わりつつありますが、博士学生の採用に積極的な企業は一部研究所をのぞき、そこまで多くないように思います。また企業から博士課程に進む場合でも、自分と同年代の研究者と比べると業績数や研究能力、勘などで劣る部分が感じるのですが、企業で鍛えられると、いい面も多くあります。最近は大学側も企業経験がある大学教員へ注目していて、採用しようという動きもありますので、企業就職するというのも選択肢として含めて考えるのがいいと思います。私の周りには企業経験がないにも関わらず、マネージメントがうまい方や企業的な視点でものを考えることができる方もいますが、そういう方は企業経験がない分、その知識を忙しい時間の合間を縫って、何かしら知識と経験をつけてらっしゃいます。そういう不断の努力が難しいという方はぜひ企業就職をし、修業をされることをお勧めします。

金沢大学ラーニングコモンズ


金沢大学ラーニングコモンズの紹介をします。しいの木迎賓館に引き続き、私も設計の一部に関わらせて頂きました。またEduce Technologyの山内先生@東京大学にもコンセプトとゾーニングでお世話になりました。ありがとうございました。

増築したり、新しい建物を造るほどの予算はなく、既存の図書館の中を改築するという形となりました。それでも良いものができたと思います。

これが可動式の机や椅子が設置された学習空間です。いろんな形態に机を組み合わせることができます。まさに協調学習を行うための空間で、共同の知を創り上げることを目指したものです。

 

 

 
授業でも使用することができますが、主な利用は授業ではなく、学生が自主的に集まって、作業する場になっていますし、授業中も他の利用者を閉め出すようなことはしません。むしろ立ち見の学生が出てくれたらうれしいと思いますし、それを狙いたいです。

個別のグループで使用できるホワイトボードも用意しました。またプロジェクターとスクリーンも3つ用意してあります。スクリーンは備え付けを考えていましたが、机は可動式ですし、周りの状況でどこに設置するか変わると思いますので、備え付けでなく、持ち運びするものにしてあります。

あと、グループ学習をすることを前提にした空間ですので、WIVIAを用意しました。無線でプロジェクターに接続できるのはもちろんですが、グループメンバーのパソコン画面を最大4人までですが、同時に投影するすることができます。無線接続になるので、このあたり、本学の学生はコンピューターの操作能力がやや弱いので、不安ではありますが、これはいいツールになると思うので、私も積極的に使用したいと思っています。

2階(入り口階)にはカフェができます。お店の名前も募集したところ、「ほん和かふぇ」という名前になったそうです。ここもプロジェクターとスクリーンが用意されています。スクリーンは電動で、備え付けです。ここではサイエンスカフェや気軽にコーヒーを飲みながらできるゼミなどができるように考えています。

前はここでは新聞と海外の番組を見ることができるスペースだったのですが、その機能も引き継いで、テレビも新聞も見ながら、カフェを楽しむことができます。メニューも充実しています。コーヒーも150円から飲むことができ、学生価格になっています。コーヒーだけではなく、紅茶、抹茶ラテ、ジュースなど飲むことができます。他にもケーキやちょっとしたサンドを食べることもできます。1.5Lのコーヒーも用意してくれます。何かイベントをする時にでも気軽にお願いできそうですね。サンドとコーヒーのセットで400円は安いですよね。

さてさて、あとは学習支援ですね。ココが胆です。学習支援策とツールの増強、学習支援者育成の問題ですね。何を学習支援するか、いろいろアイデアはあるので、ここは図書館の皆様とお話をしないといけないですね。大きな課題は1人で学習したい人とこのような学習空間との共存が図書館では考えていかないといけないのですが、本学図書館は2階、3階が吹き抜けになっておりまして、音が響くかもしれない・・・と心配ですね。でも、静かに学習する空間から脱却することを目指しているわけなので、試し試しでやっていくしかないですね。ここは。

ラーニングコモンズについてお勉強


最近、ラーニングコモンズという言葉を耳にします。「創造的な学習の場」、「学習のための共有空間」という言葉とともにこの言葉が利用されているようです。

このラーニングコモンズという言葉が出てくる前には図書館におけるインフォメーションコモンズというものがあるんだそうです。蔵書検索から始まったもののようですが、インターネットの普及により、全世界の蔵書検索、その検索術育成、そこから情報リテラシー育成の場としても注目をされていたという歴史的背景があり、最近は単なる情報リテラシー育成の場だけではなく、様々な情報リソースにアクセスできる図書館のメリットを活かした学習の場、ラーニングコモンズをつくろうという動きが顕著に見られるらしいです。

アメリカではラーニングコモンズという空間が図書館に付設され、そこで東京大学KALSのようなアクティブラーニング支援設備、蔵書やインターネット上の情報にアクセスしながら学習できる空間、キャリアセンターなど学生の支援施設も入っている大学もあるということでした。

今、日本でもこういった空間を導入しようとする動きが活発になってきているという話を聞きました。

図書館というのは今まで、「静かに読書や勉強をするところ」というイメージを持っていましたし、それ自体をルール化されている空間だと思います。ラーニングコモンズを「創造的・協調的な学習の場」とすれば、ラーニングコモンズはそういうルールとは反する学習空間です。現状の図書館を利用するには大きな壁となります。建物の問題と利用者の意識は特に厚い壁となると思います。建物の場合は「静かに利用される」ことを前提とした構造になっていると思うのです。金沢大学の場合は2階から3階まで吹き抜けになっています。話声は吹き抜けの空間ではよく響きます。またフロア毎に区切られている図書館でも、現状の蔵書はどうするのか?という問題が出てきます。

利用者の観点でも、図書館を利用する人は「静かな空間」を求めてくる人がほとんどです。金沢大学でも仲間と協調して学習したい人は学食を使用しています。現状の図書館にこのようなラーニングコモンズを導入した場合、今までの利用者はどうなるのか?という心配はあります。個人で静かに学習したいという人たち向けの学習空間も考えてあげないといけません。

いろいろ難しい問題もあり、また私も1つ1つ勉強しながら、いろいろな業者さんとお話をしながら理解を深めております。明日も業者さんがいらっしゃいますので、ちょっと勉強しておきたいと思います。私は今まで学習空間の利用や見学というレベルでは知っているのですが、自分がこのようなことに関わるとは夢にも思っていませんでした。わからないことが多いですが、がんばってやっていきたいと思います。現状の空間を有効に利用し、ラーニングコモンズ的な空間を作ることができるのであれば、それはそれで価値があることだと思っています。

うまくいけば研究というレベルまで発展できればと思っていますので。でも、こういう学習空間に関する研究は難しそうです。さまざまな要因が関わってきそうですから。先行研究なども調べてみたいと思います。

自分の専門が活かせるとは限らない世界


修士・博士課程を経て、大学教員・研究職する場合、今までの自分の専門が活かせないことが多々あります。大学教員・研究職の公募が出ているものの、1人の枠に対して100名とか200名もの人が応募します。その数百倍という競争を勝ち抜いて、やっと内定を頂けます。大変厳しい世界なので、修士・博士課程で勉強し、研究してきた蓄積が就職先では活かせないということもあります。自分の専門性が活かせる職に就くことができるのは、企業就職でも同じだと思うのですが、本当に幸せなことだと思います。

結構前なのですが、恩師である赤堀先生とお話をしていた時に、「(大学教員(大学や研究機関での研究職を含む)を目指す以上、)今までの専門とは違う仕事をするのはよくあることだ」というお話をされました。大学等で研究職に就くことが難しい現状から考えると自分の専門とは異なる分野への就職も覚悟して、就職活動をしなければならないことは1つの事実だと思います。

今まで自分がやってきた研究内容でも、領域依存の部分もあれば、そうではない部分もあります。いろんな分野で活かせる知識や技術があると思います。それを自分で理解できるか、これは1つの鍵だと思います。とはいえ研究職に就く人は自分が研究している領域をどんどん突きつめたいという思いがあると思います。でも、それは業務として自分の専門領域と異なることをやることになっても、個人の研究として今までの専門をしてはいけないということではないと思います。難しい分野もあるとは思いますが(例えば、生物学)、業務として行う研究、ライフワークとして行う研究は分けて考えるべきではないかと私は思います。

さらに赤堀先生は「それは自分にとって新しいチャレンジになる」ということもおっしゃられました。今まで行ってきた研究とは違う領域のことを業務として行わないといけない時、確かにモチベーションが下がる部分はあると思います。しかし、すべては考え方だと思いますが、自分の今までの専門とは異なる研究や業務に就くことは同時に自分の知識や専門性を広げるチャンスでもありますし、自分の専門へ活かすことができる要素もある(それを見出すことができるかは本人次第だと思いますが)と思います。

教育工学というのは学際領域なので、さまざまな専門性を持った方がいますが、いうても「教育」という冠がありますので、教育に関する知識、理論、周辺理論は知っておかなければいけません。それが面倒であると言って、教育に関する知識を持たず、理論を知らずに研究している人もいるように思います(勉強しながら研究するのはいいとして、勉強する必要がないと考えている人もいるようです)。それは私はいかがなものかと思います。

こういう考え方はどのように身に付けるか?難しいと思いますが、私は企業時代に身につけました。もちろん、企業というのはヒエラルキー組織ですので、会社を辞めない限り、上司の指示・命令には原則従わなければなりません。そういう構造内にいるので、「仕方がない」という気持ちもありました。ただ、私はいずれ大学院に行きたいという気持ちは新人の頃からありましたので(まさか辞めることになるとは思いませんでしたが。辞めなくても大学院に行ってもいいと書いてあったので、学部生の浅はかな想像で、辞めなくてもいいものだと思ってましたから)、自分がやりたくないことも、自分の専門とは違うことでも、役に立つ何かが身に付けることができると考えていました。自分にはあまり興味がない内容でも書籍にあたり勉強しました(当然のことですが)。学生であれば、先生からお願いされるお仕事や先輩と共同でプロジェクトをやるなどを通じて学習できますし、意識も変わると思います。それをしている学生とそうではない学生とは大きな差が出てきます。

自分の専門が必ずしも活かせない職に就く可能性が大きい、この世界。その可能性を踏まえて、努力して、チャレンジ精神を持ち、新しい勉強をし、研究を続けるという努力が強く求められるのだと思います。

#とある先生が「教育工学が盛り上がるのはいいことだと思うけど、教育に関する知識・理論を知
#らなくても、勉強しなくてもやっていけるという勘違いしている先生も増えてきていて、それは
#本当に困ったことだ」とおっしゃってました。たとえば、e-learningをすれば、教育工学研究になる
#と考えてしまうことです。これはダメですね・・・

読んで「良い」と思えるレポートは簡単には書けないのだよ


2月と言うことで、学生さんはレポート、教員は成績をつける作業で大忙しかと思います。私もレポートの点数をつけ終え、成績をつけました。
最近、いろんな大学でレポートの書き方について、初学者ゼミやちょっとした講座を開いて教えているじゃないですか?ライティングセンターまでつくってやっているところもあるそうです。
その手の講座って人気あるんですよね。初学者ゼミでもレポートの書き方の回はやたら学生は真剣だったりします。本学でも初学者ゼミでやっていることもあれば、本センターでもランチョンセミナーでレポートの書き方を教えたりしています。その回は会場がいっぱいになります。私の授業でも最後の方にレポートの書き方を簡単ではありますが、教えました。
レポートって型があると私は思っているんです。もちろんテキスチャ-もあるのですが、ロジックも含めた流れというものがあると思います。Twitterでも前に書いたことなのですが、トゥールミンという哲学者が考えた論理的思考の型といいますか、図式といいますか、モデルのようなものがあります(それをトゥールミンモデルといいます)。レポートというのはそのロジックの積み重ねなんです。ロジックは1つだけ単体で起こるものではありません。いくつもの図式がつながって、全体のロジックを構成するのです。
そのロジックの積み重ねの中でロジックの流れというものがあります。それはよく起承転結とか、小中学校で習うことでもあるのですが、それをもうちょっと具体化したものです。たとえば問題点の指摘-その実害-なぜその問題点から実害が生じるのかなどの流れです。このような流れの中でロジックを積み重ねて、立論する練習がいるのではないかと私は思っています。
このロジックの積み重ねで大切なのは情報収集です。私たち研究者でいうと、先行研究を集めてくることになります。最近の子はなんでもWebですね。驚くくらいWebの情報しか引用しません。今、数々の情報がWebで手に入れることができるとは言え、表層的なことしか述べていないものも数多いです。中にはWikipediaを引用する学生もいます。唖然としますね。私の授業ではダメな理由もつけて、引用させないように説明します。やはりペーパーメディアにあたるべきだと思っています。考察がレポートの中でユニークなところにあたるのですが、その考察もWebの情報、たとえば新聞社の記事だけで頼ってるロジックを立ててきた場合は本当に軽い考察ですよね。自分の言葉ではない言葉で、誰かの意見を述べている感じがします。本当によろしくないですよね。新聞記事を引用するならば、新聞記事は事実を述べているだけですから、その背景については専門書などの書籍で抑えておかなければ、軽い考察になりますね。
私もこんなことを最初からわかっていたわけじゃないです。私が学生をしていた12,3年前なんてレポートの書き方を授業で教えてくれるなんてことはありませんでした。私はESS(英語を話すクラブ)で学びました。70年以上も続いているクラブなので、その指導内容、活動内容も洗練されたものになっています。3年生が執行部員として、指導や企画立案などをするのですが、2年生の秋あたりから、先輩がされてこられた企画や指導内容について分析を行い、改善案や新企画案を踏まえて次年度の方針を立てたりします。その内容がいいか信任選挙を行います。ダメだったら、差し戻しです。
私は英語による議論を学習するグループにいたのですが、上記のようなロジック、ロジックの積み重ねを学ぶのに利用していたのは改善が代々繰り返され、伝統的に引き継がれてきたプロソル(プロブレム・ソルビング)フォーマットとオブザベーションフォーマットに従ったシートでした。これは新1年生にはサンプルが配布されて、そのシートに従って、調べたことを書いたり、簡単なテーマで立案し、議論を週3回していたのです。このシートを使うとロジックはもちろん、そのロジックの積み重ねなど学習することができるのです。それを先輩に見て頂いて、チェックを受けて、議論に臨むということをしていました。
そんなことを繰り返していると、レポートなんて何の苦にもなりませんでした。1年生の間は慣れるのに大変でしたが、2年生になって、夏ごろのレポート課題は別に苦労した覚えはないです。レポートの授業の成績は良い方だったですね。
レポートの書き方にはいろんなやり方もありますし、この方法が絶対的に良いわけでもありません。レポートにもいろんなタイプがありますから、上記のようなやり方が合わないものもあります。ただ、ある程度の型を知ったところで、レポートが即効でうまくなるなんてことはあり得ません。もうここはいっぱい書いて、いろんな人に読んでもらって、学習するしかないでしょう。ロジックを覚えるのも、ESSではトゥールミンモデルを簡易にした三角ロジックを使ってましたが、そんなモデルを覚えても、レポートがすぐにでもうまく書けるわけないです。最初の方に書いた講座に参加してくる学生は「即効性があるレポートの書き方を教えてもらえる」というとんでもない誤解をしているのです(そんなニーズにこたえるようなネーミングがしてある本ってよく売れますよね・・・ハハハ。なんかハッタリをかましてくる怪しいコンサルみたいです)。
レポートには型がありますし、それを知ることは良いことかもしれませんが、継続的に授業以外の部分でやっていかないと、周りが読んで、「これ、いいね」って言ってもらえるレポートは書けないのです。基本形を学び、授業外に継続的に試行し、自分で基本形から必要に応じて肉付けしていく。ということが大事ですね。テスト前に「あ、やらなきゃ」といって、レポートの書き方学習を繰り返している限り、うまく書けるようになんてなりません。
まあ、そういう私もなかなか難しいと思っています。論文を書くのは一苦労です。いくら書いても、難しいものです。1人で書いていても、これでいいのか?と思いますし、不安ですね。なので、仲良くさせて頂いている先生方に読んで頂いています。「これでいけるかな?」と思っても、いろいろご指摘頂きます。それくらい、よいレポート(私の場合は論文ですが)を書くのは難しいものなのです。
私は学習支援に関する授業をしてますし、ラーニングコモンズにおける学習支援体制や方法などを検討します。レポートという点でいうと、私が学生のころに効果的に学ぶことができた伝統のシートと合わせて授業をしようと思っていますし、ラーニングコモンズのレポートの支援体制でも使って行こうと思っています。でも私は「手取り足とり」で密着指導なんてしないですよ。大学生なんですから、自分で考えて、がんばってもらいます。私はきっかけをつくるだけです(そのきっかけを作ることがかなり難しいですけどね。私もまだまだですw)。

草の根的学習支援セミナーが始まる


昨年12月に、金沢大学ラーニングコモンズで、図書館職員さんと図書館ボランティア”とぼら”の学生さんをメインターゲットにレポートライティングセミナーを開催しました。用語のチョイスなどは私は教えることは難しいのですが、レポートを書く際に行うべきこと、注意すべき点、情報ソースの当たり方、構成、テキスチャー、論理的思考についてセミナーを行いました。
この動きが本学のラーニングコモンズ、図書館職員さんの中でも広がってきています。17日から図書館職員さんが中心となって、私のレポートライティングセミナーの話を踏まえながら、文献探索の方法を付け加え、セミナーを5日間も開催します。5日間というのはすばらしいですね。毎日、同じ内容ではあるのですが、学生が好きな時に参加できるというのが大きなメリットです。
前にラーニングコモンズ、図書館の現在についてエントリーしましたが、図書館職員さんたちが書籍の管理や情報探索のプロというだけではなく、学習支援に積極的に関与していく必要があることが現在、図書館系の学会や情報誌で主張されています。しかし、図書館職員さん方は教育研究に関わってられた方は非常に少ない状況にあります。このような状況で、教育研究関係者、特に教育工学の研究者とうまくコラボレーションを行い、学習支援環境としての図書館を作り上げていくというのはすばらしいことだと思います。
しかし、組織的な問題もあると思います。図書館はだいたい情報系の事務が管理をしていますが、教育系は学務系の事務が所轄していることが多いです。ここの枠をどう乗り越えるか。ここは頭が痛いところだと思います。情報管理、図書館系の研究者だけでは学習支援環境の構築は大変むずかしいものがあるので、うまく協力していけるのが良いのですが。教育というのは経験だけで語られることが多いです。それはみんな教育を受けてきた経験があるからです。また教育をしてきた経験だけ教育全般のことを語られることも多いように思います。でもそれだけでは足りない。教育研究をしている実績と研究勘を持った研究者が関わることが大切だと思います。
今後の発展を期待したいです。私は個人的ではありますが、教育工学会でラーニングコモンズ系の研究会や勉強会でもできればいいなと思っています。しかし、昨年、私の元上司でもあります、山内先生@東京大学にもご迷惑をお掛けしたという、痛い目もあるので、こぢんまりとした有志の研究会でもできればと思っています。
さて、今月末にはラーニングコモンズでプレゼンテーションセミナーを開催します。私が講師で行います。残念ながら学内に限ったイベントです。ライティングに加え、プレゼンテーションなど、いろんな学習支援セミナーを開催し、開催の和が広がって、充実した学習支援環境がラーニングコモンズに構築できればと思っています。

リフレクティブ・マネジャーを読みました


中原先生@東京大学から金井先生@神戸大学と一緒に書かれました「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省をする」を頂いた。中原先生、ありがとうございました。

内容としては企業内教育に何かしらで関わっている方に向けられたものだと思いますが、企業内教育に関わらず、アカデミックポストにいる人も、学生でも読むのが良いのではないでしょうか。特にアカデミックポストで、管理職に就いている方、それに準ずる教授・准教授級の先生には読んでもらいたいと思います。

導入は「上司拒否」という話から。マネジャーのやるべきことが数十年前に比べて、増えているという話。部下のメンタルケア的なことから何から何まで。それを見て、新人君たちは「マネジャーにはなりたくないね」という。きょーかんしますね。何に?ええ、その新人くんたちに。私もそうですから。管理職というものになること自体に興味は全くないのです。赤堀先生も私に「ヒラの教授ってのが、研究もできて、一番いいんだよ」と。

主な内容は「人は周り(上司・同僚・後輩・取引先など)との相互作用により学習する」ということなのですが、学習過程の中で内省(行動中の内省と行動後の内省)の重要性について金井先生、中原先生のご研究の成果やご経験から説明されています。しかし、大人の学び、特に内省によって引き起こされる有効な学びは苦痛を伴う。それは内省によっては今まで自分が気付きあげてきた経験や持論というものすら「通じないかもしれない」という内省が必要となります。これを「学習棄却」、「学びほぐし」、”unlearn”という言葉で説明されていました。内省によってはunlearnが求められ、新たな経験をすることが求められ、新たな持論を構築するプロセスが必要になる。この持論・経験というものが、ややもすれば、「おやじの説教」、「陳腐な格言」になり下がってしまうということがあり、”unlearn”が必要であることを理解する必要性について説明されています。

3章では、学びのきっかけになる仕組みとして対話による学習、特に組織における学習共同体とその意味、効果について説明されています。特に正統的周辺参加(Lave & Wenger, 1991)について、アフリカの仕立て屋の例を挙げ、説明されている。これは有名な話で、新人は衣服の作成工程で最後の工程(ボタン付け)から経験をし、どんどん作業の重要な部分(失敗が許されない部分)へ関わっていくことなるという話で、これにより、衣服の作成工程において、全体的な把握ができるようになるとしている。この本では特に内省というのがキーワードになっているので、その中でマネジャーがどのように学びに関わり、内省を促す仕組みを作るか話されています。

   

3章の最後の方で、中原先生が「理念の浸透」について説明しています。組織にはミッションや理念というものがあります。マネジャー級の人はそれを浸透させたいと思う。そのためには新人教育、社内報の発刊、社員研修で徹底するなどを行う。中原先生はこれらは学習効果がないとは言えないが、導管メタファーに沿ったもので、ただただ情報を受け手に流し込んでいるだけにすぎないと主張しています。私が自分の経験からも納得したのは、中原先生が引用されている高津尚志さんの言葉で

「会社は社員一人ひとりに理念を浸透させたいというが、社員は誰も理念を浸透させてほしいなんて思っていない」

ということです。これは本当にそう思います。私も会社にいた時に部長や社長が「うちの理念は●●だから、それに沿って、がんばるように」とか言われ、人事部からもよくわからん説明をされても、社員はそんなことに同調するわけないのです。私も覚えてないくらいですが、たいした話と思って聞いていなかったのだと思います。上司から強制され、言わされる理念なんてもんはそんな程度の価値しかないのです。そんなことで、人間の考え方、もちろん行動なんて変わるわけがないのです。この理念浸透について、どう考えるかということも触れられていました。

4章「企業がどう個人の学びを支援するか」では、「私の教育論」の弊害、「なんとなく研修」がなぜ行われるのかという話などについて説明されています。5章では企業「外」人材育成という題で、中原先生がされているラーニングバーを例に、企業外での対話と内省の仕組みについて説明がされていました。このあたりは読んでみてください。私はラーニングバーに参加したことがありますが、驚くほど企業の方が多く(参加希望者数が多すぎて抽選になるそうです)、興味深いお話を聞き、「対話」しました。ブログに書いて、アウトプットしました。本当に頭に残るんですよね。

この本の話は大学組織でも同じだと思います。大学でも組織によってミッションは異なりますし、大学が持つ理念にどう貢献するかということを把握しておかなければなりません。でも、末端の教員はそこまで考えているのか?というと考えていないと思います。今、FDということで、教員の資質向上のため、様々な方策を各大学で検討し、実施されてきています。しかし、それらは現状のところ、「導管」的な学びで、「導管」から抜け出せているところは数少ないのではないでしょうか。

FDの研究を進めるにあたって、この本は私に多くのヒントをくれましたし、私個人が今後、研究者としてのキャリアを築き上げるにはどうあればいいかということについても参考になりました。

4章にあった、中原先生の言葉がグッときます。

———–
あなたは、大人に学べという
あなたは、大人に成長せよという
あなたは、大人に変容せよという

で、そういう「あなた」はどうなのだ?
あなた自身は、学んでいるのか?
あなた自身は、成長しようとしているのか?
あなた自身は、変わろうとしているのか?
———–

前に私は「なぜに英語から逃げる」というエントリーをしました。結構、刺激的な内容だったようで、Twitter上でもいろいろ反応がありました。内容は修士学生に向けられたものですが、あれは私にも向けられているのです。私は今のところ、英語の文献を読んでいます。でもそれを止めた時、私は1つの学びを放棄したことになります。英語が逃げず、続けること。これは私が学んでいるのか?成長しようとしているのか?という問いを自分にもするきっかけになります。

この本は企業内人材を対象としていますが、それゆえに学習科学で言われている理論もわからない人にもわかりやすく書かれていますし、教育フィールドを研究分野としていない研究者も一度読まれるといいと思います。就職希望の学生にも良いと思います。金井先生と中原先生との対話という形で話が展開されているのが面白いです。そのため、話がどうつながっているのかわかりやすいですね。おもしろい本でした。勉強になりました。

ちょっと質問もあります。最初の「上司拒否」という話になりますが、文面上はマネジャーになることが良いというようにも解釈できます。理解違いしている部分があるかもしれないのですが、マネジャーの経験=上位の経験=一皮むけた経験という話のようにも解釈できました。そういう解釈で良いのか?

#私の世代も専門を極めることに価値を置く世代だと思いますね。業界にもよるのでしょうけど。
#もっというならば、「やりたいことをやりたい。」ということなのだと思います。まだ私たちの世代
#は「やりたいことをやるには修行が必要」であることは認識はしていると思いますが。
#WBSの就職活動特集で「やりたいことをさせてもらえる企業を選びます」と言っていた学生が
#いたけど、「いつかはさせてもらえるかもね(笑)させてもらえない可能性も大きいけど」と思って
#聞いてましたけどね。

あと、企業内人材育成関連の研究、特に組織の観点でみた研究のゴールというものが、やはりよくわからないのです。人材の情意面の改善ということで良いのでしょうか?本書でも人事部の人が「とりあえず研修」を依頼されるというお話があったのですが、この情意面の改善というところに重きが置かれているから、人事部の人たちもよくわからない要望を言われるということは考えられないでしょうか。とはいえ、客観的に何をもってうまくいったとするかというのも難しいというのも理解できます。数値的なもので研修のゴールというのも人事の人は言いにくいとも思います。単純に何かの技術を身につけるという話ではないので。

さらに数値的な評価をするにしても、企業内人材育成となると、失敗はできないですから。何か悪い数値でも出てくると公表できないところもあると思います。これが企業内人材育成に関する研究を難しくしている一つの原因だと思います。教育の観点ではまだまだ研究の数が少ない状況ということですので、今後、何か測る良い基準というものが出てくるのかもしれません。

などなど、質問ももう少しありますが、それはまた今度、直接中原先生とお話しする機会があればぶつけてみたいと思います。

金沢大学ラーニングコモンズを考える


先月、共同学習会「金沢大学ラーニングコモンズにおける学習支援・運用を考える」を行いました。本学中央図書館の岡部課長より、図書館の観点から見たラーニングコモンズに至るまで歴史、インフォメーションコモンズからラーニングコモンズへ変わる背景、ラーニングコモンズについてのご説明が、日本国内と海外の大学の事例を含めてありました。学習支援の関係で私が微力ながら協力させて頂いています。岡部課長も結構、学習支援にご興味をお示しで、ご理解を下さっているので、お話が結構進むので楽しいです。
インフォメーションコモンズでは、プリンターやマルチメディアへのアクセスなどの統合的サービス、OPAC、グループ学習スペースの提供を基本に情報リテラシー教育の一部を担うような形で造られていました。以上のものはグループ学習スペースはまだしも、図書館の利用を通じて、情報リテラシー学習を主に個人で行うことにあったように思います。しかし、図書館が提供できる資源を有効活用することでより良い学習の場を提供することができます。それが「インフォメーションコモンズからラーニングコモンズへ」という言葉に代表されるように、ラーニングコモンズに注目をされているということになるのだと思います。もちろん、その背景には図書館の利用率の低下、図書館に関する予算の低減、図書館職員数の削減という図書館における大きな問題への対応であることもあります。
ただ、私がちょっと驚いたのは、岡部課長からもお話がありましたが、ラーニングコモンズのもう1つの背景として、「知識の伝達」から「知識の創造」へという、学習観の変化についても触れられていることでした。「知識の創造」というところまではちょっと言い過ぎ感があるようにも思いましたが、これは学習科学の方でも学習は一方的に知識が教員などの知識がある人から学習者への「知識の伝達」観から「人間は人間や人工物との相互作用を通じて、知識を再構成する」という社会構成主義的学習観に1990年代を中心に注目されてきました。それに通じるものを図書館でも意識されていた(のか?)というのが驚きだったのです(もちろん、知識の伝達の意味や効果を否定するものではありません。学習というものは受動的なものではなく、好奇心というものをもつ人間の主体的な行動であると捉えることが重要です)。このような考えは教育学部などで教育研究に関わっていない限り、学部などで教育に携わっている教員もあまり知られていないことなのですが。このあたりの概要を知るには、IDE大学協会が出しているIDE-現代の高等教育でラーニングコモンズ特集がされていたので、参考になります。後半にある矢野先生が書かれた学習環境デザインとの関係ではTEALのお話しもあります。
しかし、ラーニングコモンズのような空間は図書館一部局でできるものではありません。ICT利用とも密接に関わってきますので、情報技術について長けている部局との連携は必要になります。本学では情報部が管理しているので、ここはなんとかなるのではないかと、私の勝手な想像ですが、思っております。空間設計も、社会構成主義的学習観の立場に立つ問題解決学習やプロジェクト学習などの学びを支援する可動式で、グループの人数によって組み合わせ方を変えることができる什器類、ゾーニングも大切です。「静かな空間」だけではなく、「仲間が対話を繰り返し、学びを発展させる場」を作ることはなかなか難しいものがあります。本学のラーニングコモンズでもそのような空間が図書館内につくられます。しかし、ラーニングコモンズで「最も」といっても過言ではない程の重要な点は学習支援にあります。海外の大学ではラーニングコモンズ内にキャリアセンターなどの学習支援組織が充実しています。日本の大学でもお茶の水女子大学の学生アシスタントLiSA、東京女子大学の学習コンシェルジェ、名古屋大学でも学習支援スタッフが配置され、学習支援体制が創られているということでした。ここはお金がない地方大学は頭が痛いところです。でもこれが抜けるとラーニングコモンズではないということになります。地方大学では「センター」という文言を気にするような小さな教員もいるので、さらに頭が痛いです。
ただ、本学のように教育工学において、心理学的な側面から協調学習、CSCL研究をしてきている研究者がいるところでは、運用面はプロではない部分もありますが、支援のデザインや体制を組むことは研究の知見を踏まえてできるのは、そういう研究者がいない大学に比べ、大きいことかもしれません。いろいろ考えています。支援に割くことができるリソースの制限の中、この学習空間を活かした学習支援の方法を。社会構成主義的学習観に触れた教育工学の文書や論文は1990年代後半あたりから増えてくるのですが、私は結構、教育工学の古典が役に立つなと思っています。古典はいいことが書いてありますね。
また教員向けのワークショップも必要だと思っています。昨日、東京大学の現代GPシンポジウムに参加してきましたが、東大でもKALSの教育利用普及に教員向けのサマープログラムをされたそうです。これは大切ですね。ただ、FD研修会によくある一方的な講義型はやっても仕方ないと思いますので、いろんな方法を考えたいと思います。その点、東大はうまくやってましたね。参考にしたいです。
ラーニングコモンズは魅力的な空間で、大学における授業内外の学びを支援するのに大変重要な役割を果たすと思いますが、それだけ教職員に負荷が高くなることは確実だと思います。新しい学びの形態ができるということはそれだけの新しい、それも自分たちが考えもつかないような問題や負荷が出てくる可能性は高いと思います。しかし、それを恐れていては何もできないですし、地方大学は大きな特色を出す大切な機会だと思います。
ラーニングコモンズの関係の雑誌を国内外の論文に当たりましたが、しっかりと研究されているものはまだ少ない状況だと思いました。私が読んだところ、The Journal of Academic Librarianshipの何本かの論文くらいだったと記憶しています(でも、海外誌は勉強になった。また日本と大学生のタイプが違うから、そのまま日本でどうかという話にはならないけど)。 まだまだこれからなのだと思います。今後、ラーニングコモンズを導入する大学は増えてくると思いますが、いろんな大学で活かせるような研究知見を出していきたいと思います。
ラーニングコモンズを考える時、ぜひ教育の研究者とも連携をして学習支援を考えてみてはどうでしょうか?

高等教育論入門が発刊されました


私は教育工学にいる身で、まさか高等教育に関する本の一部を執筆させて頂けるとは思いませんでした。本センターの青野先生よりお声かけ頂き、第18章 高等教育の国際化とeラーニングの執筆を担当致しました。ありがとうございました。

今も仲良くさせて頂いています、松河先生@大阪大学も第16章をご担当されています。

内容としては近年の高等教育の国際化の流れ、その流れの中でのICTの位置づけ、日本語教育のためのeラーニング(東京外国語大学と国際交流基金)、OCW(MIT)について説明しています。

#東京外国語大学のご担当様、国際交流基金の島田さん、MITの飯吉先生、
#東京大学の中原先生には画像や内部の状況など教えて頂きました。ありがとうございました。

もしよろしければ、ご一読頂ければと思います。どうぞ宜しくお願いします。