皆さん、こんにちは!
山田研究室修士2年の樋口尚宏です。 教育現場では、評価データや学習ログをもとに授業を見直す「データ駆動型意思決定」への期待が高まっていますが、実際にはデータに基づいて規則的に自らの実践を問い直す教師の探究(Teacher Inquiry, TI)は、なかなか学校現場に定着していません。今回は、この定着しにくさの原因を「モデルが理論的すぎること」に求め、教師自身が使いやすい具体的な手順とヒントを備えた探究モデルを提案・検証した論文をご紹介します。私が開発する授業改善支援システム「TiTela」の設計とも深く関わる一本です。
論文情報
・タイトル: Towards Data-Informed Teaching Practice: A Model for Integrating Analytics with Teacher Inquiry(データに基づく教授実践に向けて:アナリティクスと教師の探究を統合するモデル)
・著者: Marge Saar, María Jesús Rodríguez-Triana, Luis P. Prieto
・掲載誌: Journal of Learning Analytics, 9(3), 88–103.
・出版年: 2022年
・DOI: https://doi.org/10.18608/jla.2022.7505
1. 導入・背景:教師はなぜ「データに基づく探究」を続けられないのか
時代や生徒のニーズが変わるなか、教師は日々の指導方法を見直し、新しい指導方略を試すことを求められています。評価データや教室での気づき、自分の教え方に関するデータなど、教師が使える情報は本来豊富にあるはずです。しかし、そうしたデータをもとに規則的・体系的に自らの実践を検討する「教師の探究(TI)」は、依然として学校現場に根づいていません。その背景には、教師のニーズに合った関連データへのアクセスの乏しさと、得られる成果に見合わない作業負荷の大きさがあります。加えて、既存のTI・データ活用モデルの多くは教師の教え方(teaching)よりも生徒の学習(student learning)そのものに焦点を当てており、具体的な実践例を欠くため、現場の教師には「理論的すぎる」ものと映りがちでした。実際、2011〜2018年のラーニングアナリティクス(LA)関連論文をレビューした先行研究でも、多くが生徒データのみを扱い、教師の教え方に着目する「teaching analytics」への関心は2018年以降ようやく現れ始めたと報告されています。本研究は、探究の各ステップで教師を具体的に導くモデル「Analytics Model for Teacher Inquiry(AMTI)」を開発し、この定着の壁を乗り越えることを目指しています。
※ なお論文中には、AMTIの各ステップと構成要素を1枚にまとめた概念図(p.97、PDFでは10ページ目)が掲載されており、本研究全体がこの図の構築・洗練に向けて進んでいく構成になっているため、あわせて参照するととても分かりやすいです。
2. 理論的枠組み:既存モデルを統合し、「問題」ではなく「目的」から始める設計
本研究は、Teaching and Learning Analytics(TLA:教師自身と学習者双方に関わる教育データをもとに、自らの教育デザインと実施を省察する教師のプロセスを導く枠組み)と、TI(教師主導でエビデンスに基づき自らの実践の専門的発達に取り組む営み)を接続する立場に立っています。ここで扱われるのは、データが意思決定を一方的に決めてしまう(drive)のではなく、あくまで判断材料を与える(inform)という考え方です。 AMTIは、既存の3つの代表的なモデルを統合して構築されました。第一に、既存のTIモデルはデータをどう解釈すればよいかの指針を欠いていたため、解釈の段階を「センスメイキング(データのパターンを見いだす段階)」と「インタープリテーション(教育学的な知識を加えて意味づける段階)」に分けました。第二に、探究は必ずしも「問題」への対処だけを意味せず、前向きな改善という目標もありうるという考え方から、探究の起点を「問題の同定」ではなく「purpose(目的)」に置きました。第三に、データ活用を捉える既存の参照モデルが示す4つの視点(何のデータを・どんな技法で・誰が・なぜ活用するか)のうち、教室という現場では自明な「誰が」を除き、「何を・どう」に加えて「その後どう行動するか」と「なぜ探究するのか」という視点を組み込んでいます。
3. 調査手法:Design Based Researchによる3段階の開発と検証
本研究は、現実の課題に対する解決策を設計し、理論と実践の橋渡しを図る「Design Based Research(DBR)」を採用し、3つのイテレーション(反復段階)を通じてAMTIを開発・検証しました。 イテレーション1では、既存の複数のTIモデルを比較して共通のステップを抽出し、データ活用のプロセスと教師にとって意味のあるデータの種類を専門家の助言を得ながら整理し、AMTIの初版を構築しました。イテレーション2では、エストニアの中等学校4校から教職経験1年未満〜20年超の教師10名を選び、AMTIの各ステップを問う8つの質問と、データ活用への志向性を尋ねる4つの自由記述質問を用いて、30〜45分のシンキングアラウド(考えを声に出しながら作業する)セッションを実施しました。イテレーション3では、大学研究者や主幹教諭・上級教諭ら経験10年超の7名による「Nominal Group Technique(NGT:各自が個別に着想を出し合い、互いの案から刺激を受けながら重要度を順位づける構造化された会議手法)」でモデルを検証するとともに、教師研究者2名が実際の授業でAMTIを用いてデータを収集し、その適用可能性を確かめました。
4. 結果・議論:3つのリサーチクエスチョンへの回答
本研究は以下の3つのリサーチクエスチョン(RQ)を設定しています。
RQ1:教師が実践のなかで使えると感じるTLAのプロセスモデルを、どう設計できるか。
参加者はAMTIを論理的で適用しやすいものと評価しました。ここから、(1) 「問題」ではなく教授実践一般に情報を与えるべき、(2) 探究の問いに教師の注意を向けさせるべき、(3) 生徒データを教師自身の教え方に関するデータで補う道筋を示すべき、(4) 分析のプロセスを論理的につながった複数のステップに分けるべき、という4つの設計原則が導かれました。ただし、「センスメイキング」と「インタープリテーション」の2段階は教師にとって区別しにくく、パターン探索と教育学的な解釈が意識されないまま同時に進んでしまう傾向があり、解釈のスキルが不足する場合は同僚や文献、研修による支援が必要だと示されました。
RQ2:AMTIの各ステップに対する教師の認識は、データ活用の理解や志向性について何を明らかにするか。
教師が自らの教え方を分析しようとする動機は、義務感からではなく「良い教師でありたい」「生徒のニーズに応えたい」という内的な思いと結びついていました。一方で、経験の多寡を問わず、自分の弱点やうまくいかなかった場面と向き合うことをためらう教師もおり、特に初任者は「効果的な教え方とは何か」という基準が示されないことへの不安を口にしていました。また、データの収集・分析の手段は質問紙や個人観察にとどまることが多く、教室という物理的な空間からデータを集めるツールへのアクセスと、その使い方の指針が求められていることも分かりました。
RQ3:教師はTLAの普及を妨げる要因として何を挙げ、どのようなインセンティブがありうると考えるか。
普及を妨げる要因は、大きく2つに分けられました。ひとつは、教師を取り巻く環境を変えれば取り除ける要因(作業負荷、習慣、「評価されている」という感覚)。もうひとつは、探究モデル自体の工夫で支援しうる要因(プロセスの平易化、指針と具体例の提示、データ収集・分析の技術的な手立ての提示)です。何より、教師自身がTLA導入の利点を実感できなければ、新しいやり方を取り入れる前の「手間」と「効果」を天秤にかけて動きません。内発的な動機だけでなく学校の方針といった外的な後押しも必要ですが、TLAが教師の実践を評価・監査する道具になってしまっては、探究への前向きな姿勢を損なうことも指摘されています。
5. 結論と研究の限界
3つのイテレーションを通じて、教師は教え方の改善を目標に掲げていても、実際にはそのためのデータ(teaching data)を集めようとせず、探究の問いを自分の教え方ではなく生徒に向けがちであることが明らかになりました。teaching dataはまだ新しい概念であり、今後はteaching analyticsをより重視して学習データとの偏りを是正するとともに、実践の文脈に即したツールや技術の開発・普及を進める必要があると著者らは主張しています。 研究の限界: 本研究は少数の参加者に基づく知見であり、一般化には限界があります。また、AMTIに基づくシンキングアラウドの質問項目は妥当性が十分に検証されておらず、「motivation(動機)」と「purpose(目的)」の違いなど、教師の混乱を招いた可能性も指摘されています。
6. この論文を選んだ理由と私の研究への活かし方
本研究を選んだのは、教師の探究(TI)とTeaching and Learning Analytics(TLA)の関わり合いを正面から扱っており、両者を統合する枠組みとして私が開発している「TiTela」の問題意識と非常に近かったからです。理論の提案にとどまらず、実際に教師10名の認識を調査し、モデルへの理解や普及の障害まで踏み込んでいる点は、実証段階にある自分の研究の参考になります。 TiTelaは本研究とは異なる先行モデルに依拠し、探究の最初のステップを「問題の同定」としていますが、本論文が示した「探究は問題対処に限らず、目的(purpose)から始まりうる」という知見は、私自身のプロトタイプ評価の場でも感じていたことでした。この設計を見直す材料になりそうです。また、本研究の調査では教師のデータ収集手段が質問紙や個人観察に限られていましたが、TiTelaが扱うページ遷移やマーカーといった細粒度のeBookログは、こうした制約を技術的に補う位置づけにあると言えます。さらに、データの意味づけを「センスメイキング」と「インタープリテーション」に分けて重視する点は本研究と共通していますが、TiTelaは教師の教え方のプロセス自体をトラッキングできる点で独自性を主張できそうだとも感じました。教師の教え方と生徒の学びの両方をつなぐTLAの方向性を、今後も自分の研究に活かしていきたいと思います。
文責:樋口尚宏




