「勉強」はプロセスに過ぎない〜教育系大学院を志す社会人の意識???


9月上旬は大学院の入試時期です。本学も先週、終わりました。受験者のみなさん、お疲れ様でした。合格者のみなさん、来年度、お会いできることを楽しみにしています。

ここ最近、社会人で勤務しながら大学院を目指す方が増えてきました。もちろん、政府が後押ししている部分もあると思いますが、私が大学院生をしていた数年前に比べ、増えたように思います。それだけ自分のキャリアについていろいろ考える方も増えてきているのだろうと思います。教育系の大学院でも、現役の教員の方の受験者は増えているように感じています。社会人で、大学院で学ぶのは大変なことだと思いますが、ご自身で選択をされたことで、それだけモチベーションも高いと思います(この点はいろいろ過去のエントリーや「教育工学の研究をしたい方へ」でも書いているので、ここではこれ以上の話はしません)。

社会人の受験者と話したり、面接を聞いていて、1つ気になることがあります。それは、大学院入学の志望理由が「勉強すること」になっている点です。専門職大学院だとまた違うのかもしれませんが、少なくとも本学の人間環境学府教育システム専攻は「勉強する」ことが目的とする場ではないです。大学院は「勉強する」ことが目的とする場ではなく、「研究する」ことが目的となる場です。勉強はあくまで研究を遂行する中で必要な知識・スキルを身につけるプロセスに過ぎません。「勉強する」ことを目的とするのであれば、それは科目等履修生となるのが良いでしょう。

また、「研究」という意味も社会人受験者と私たち研究者では何か違うような気もしています。本大学院であれば、初等中等教育機関の教員が受験者であることが多いのですが、彼ら・彼女らのいう「研究」というのは、「実践」の共有を通じた知識・スキルの伝承であり、彼ら・彼女らが抱える問題の解決や改善が目的になっているのではないかと感じます。しかし、私たち研究者が考える「研究」は、その先にあります。

まず、私たち研究者が考える「研究」では、「理論」に基づくことが大前提になります。ここを抜きに研究は始まりません。また、現場の問題を解決・改善するだけではなく、他の方にも使えるようなツール類(紙教材も含めて)の開発を行ったり、他の領域での適用性を考えたりもします。ご自身で働かれている現場での問題が、いろいろ考える機会になっているというのは起点としては良いですが、「研究」を「大学院」でしたいのであれば、その問題が様々な現場でも起こっていること、その問題解決に理論を適用し、とある処遇を行うことで解決・改善され得ることを考えなくてはなりません。そのために「勉強」が必要になります。「勉強する」ことが目的・ゴールにはなりません。

私は初等中等教育機関の教員が大学院を志望することに、ポジティブなものとしてあまり考えていません。大変お忙しい業務の中、授業に出て、勉強しながら、「研究」をするのは、本当に大変なことです。「研究」というのは、ご自身の現場のことだけを考えていればいいということではなくなることでもあります。教育現場にいる、他の先生方からのご理解を得る必要も出てくるでしょう。私たち研究者が考える「研究」を、初等中等教育機関の教員がしなければならない理由、意義を受験希望をされる前に考えた方が良いでしょう。