リフレクティブ・マネジャーを読みました


中原先生@東京大学から金井先生@神戸大学と一緒に書かれました「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省をする」を頂いた。中原先生、ありがとうございました。

内容としては企業内教育に何かしらで関わっている方に向けられたものだと思いますが、企業内教育に関わらず、アカデミックポストにいる人も、学生でも読むのが良いのではないでしょうか。特にアカデミックポストで、管理職に就いている方、それに準ずる教授・准教授級の先生には読んでもらいたいと思います。

導入は「上司拒否」という話から。マネジャーのやるべきことが数十年前に比べて、増えているという話。部下のメンタルケア的なことから何から何まで。それを見て、新人君たちは「マネジャーにはなりたくないね」という。きょーかんしますね。何に?ええ、その新人くんたちに。私もそうですから。管理職というものになること自体に興味は全くないのです。赤堀先生も私に「ヒラの教授ってのが、研究もできて、一番いいんだよ」と。

主な内容は「人は周り(上司・同僚・後輩・取引先など)との相互作用により学習する」ということなのですが、学習過程の中で内省(行動中の内省と行動後の内省)の重要性について金井先生、中原先生のご研究の成果やご経験から説明されています。しかし、大人の学び、特に内省によって引き起こされる有効な学びは苦痛を伴う。それは内省によっては今まで自分が気付きあげてきた経験や持論というものすら「通じないかもしれない」という内省が必要となります。これを「学習棄却」、「学びほぐし」、”unlearn”という言葉で説明されていました。内省によってはunlearnが求められ、新たな経験をすることが求められ、新たな持論を構築するプロセスが必要になる。この持論・経験というものが、ややもすれば、「おやじの説教」、「陳腐な格言」になり下がってしまうということがあり、”unlearn”が必要であることを理解する必要性について説明されています。

3章では、学びのきっかけになる仕組みとして対話による学習、特に組織における学習共同体とその意味、効果について説明されています。特に正統的周辺参加(Lave & Wenger, 1991)について、アフリカの仕立て屋の例を挙げ、説明されている。これは有名な話で、新人は衣服の作成工程で最後の工程(ボタン付け)から経験をし、どんどん作業の重要な部分(失敗が許されない部分)へ関わっていくことなるという話で、これにより、衣服の作成工程において、全体的な把握ができるようになるとしている。この本では特に内省というのがキーワードになっているので、その中でマネジャーがどのように学びに関わり、内省を促す仕組みを作るか話されています。

   

3章の最後の方で、中原先生が「理念の浸透」について説明しています。組織にはミッションや理念というものがあります。マネジャー級の人はそれを浸透させたいと思う。そのためには新人教育、社内報の発刊、社員研修で徹底するなどを行う。中原先生はこれらは学習効果がないとは言えないが、導管メタファーに沿ったもので、ただただ情報を受け手に流し込んでいるだけにすぎないと主張しています。私が自分の経験からも納得したのは、中原先生が引用されている高津尚志さんの言葉で

「会社は社員一人ひとりに理念を浸透させたいというが、社員は誰も理念を浸透させてほしいなんて思っていない」

ということです。これは本当にそう思います。私も会社にいた時に部長や社長が「うちの理念は●●だから、それに沿って、がんばるように」とか言われ、人事部からもよくわからん説明をされても、社員はそんなことに同調するわけないのです。私も覚えてないくらいですが、たいした話と思って聞いていなかったのだと思います。上司から強制され、言わされる理念なんてもんはそんな程度の価値しかないのです。そんなことで、人間の考え方、もちろん行動なんて変わるわけがないのです。この理念浸透について、どう考えるかということも触れられていました。

4章「企業がどう個人の学びを支援するか」では、「私の教育論」の弊害、「なんとなく研修」がなぜ行われるのかという話などについて説明されています。5章では企業「外」人材育成という題で、中原先生がされているラーニングバーを例に、企業外での対話と内省の仕組みについて説明がされていました。このあたりは読んでみてください。私はラーニングバーに参加したことがありますが、驚くほど企業の方が多く(参加希望者数が多すぎて抽選になるそうです)、興味深いお話を聞き、「対話」しました。ブログに書いて、アウトプットしました。本当に頭に残るんですよね。

この本の話は大学組織でも同じだと思います。大学でも組織によってミッションは異なりますし、大学が持つ理念にどう貢献するかということを把握しておかなければなりません。でも、末端の教員はそこまで考えているのか?というと考えていないと思います。今、FDということで、教員の資質向上のため、様々な方策を各大学で検討し、実施されてきています。しかし、それらは現状のところ、「導管」的な学びで、「導管」から抜け出せているところは数少ないのではないでしょうか。

FDの研究を進めるにあたって、この本は私に多くのヒントをくれましたし、私個人が今後、研究者としてのキャリアを築き上げるにはどうあればいいかということについても参考になりました。

4章にあった、中原先生の言葉がグッときます。

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あなたは、大人に学べという
あなたは、大人に成長せよという
あなたは、大人に変容せよという

で、そういう「あなた」はどうなのだ?
あなた自身は、学んでいるのか?
あなた自身は、成長しようとしているのか?
あなた自身は、変わろうとしているのか?
———–

前に私は「なぜに英語から逃げる」というエントリーをしました。結構、刺激的な内容だったようで、Twitter上でもいろいろ反応がありました。内容は修士学生に向けられたものですが、あれは私にも向けられているのです。私は今のところ、英語の文献を読んでいます。でもそれを止めた時、私は1つの学びを放棄したことになります。英語が逃げず、続けること。これは私が学んでいるのか?成長しようとしているのか?という問いを自分にもするきっかけになります。

この本は企業内人材を対象としていますが、それゆえに学習科学で言われている理論もわからない人にもわかりやすく書かれていますし、教育フィールドを研究分野としていない研究者も一度読まれるといいと思います。就職希望の学生にも良いと思います。金井先生と中原先生との対話という形で話が展開されているのが面白いです。そのため、話がどうつながっているのかわかりやすいですね。おもしろい本でした。勉強になりました。

ちょっと質問もあります。最初の「上司拒否」という話になりますが、文面上はマネジャーになることが良いというようにも解釈できます。理解違いしている部分があるかもしれないのですが、マネジャーの経験=上位の経験=一皮むけた経験という話のようにも解釈できました。そういう解釈で良いのか?

#私の世代も専門を極めることに価値を置く世代だと思いますね。業界にもよるのでしょうけど。
#もっというならば、「やりたいことをやりたい。」ということなのだと思います。まだ私たちの世代
#は「やりたいことをやるには修行が必要」であることは認識はしていると思いますが。
#WBSの就職活動特集で「やりたいことをさせてもらえる企業を選びます」と言っていた学生が
#いたけど、「いつかはさせてもらえるかもね(笑)させてもらえない可能性も大きいけど」と思って
#聞いてましたけどね。

あと、企業内人材育成関連の研究、特に組織の観点でみた研究のゴールというものが、やはりよくわからないのです。人材の情意面の改善ということで良いのでしょうか?本書でも人事部の人が「とりあえず研修」を依頼されるというお話があったのですが、この情意面の改善というところに重きが置かれているから、人事部の人たちもよくわからない要望を言われるということは考えられないでしょうか。とはいえ、客観的に何をもってうまくいったとするかというのも難しいというのも理解できます。数値的なもので研修のゴールというのも人事の人は言いにくいとも思います。単純に何かの技術を身につけるという話ではないので。

さらに数値的な評価をするにしても、企業内人材育成となると、失敗はできないですから。何か悪い数値でも出てくると公表できないところもあると思います。これが企業内人材育成に関する研究を難しくしている一つの原因だと思います。教育の観点ではまだまだ研究の数が少ない状況ということですので、今後、何か測る良い基準というものが出てくるのかもしれません。

などなど、質問ももう少しありますが、それはまた今度、直接中原先生とお話しする機会があればぶつけてみたいと思います。

金沢大学ラーニングコモンズを考える


先月、共同学習会「金沢大学ラーニングコモンズにおける学習支援・運用を考える」を行いました。本学中央図書館の岡部課長より、図書館の観点から見たラーニングコモンズに至るまで歴史、インフォメーションコモンズからラーニングコモンズへ変わる背景、ラーニングコモンズについてのご説明が、日本国内と海外の大学の事例を含めてありました。学習支援の関係で私が微力ながら協力させて頂いています。岡部課長も結構、学習支援にご興味をお示しで、ご理解を下さっているので、お話が結構進むので楽しいです。
インフォメーションコモンズでは、プリンターやマルチメディアへのアクセスなどの統合的サービス、OPAC、グループ学習スペースの提供を基本に情報リテラシー教育の一部を担うような形で造られていました。以上のものはグループ学習スペースはまだしも、図書館の利用を通じて、情報リテラシー学習を主に個人で行うことにあったように思います。しかし、図書館が提供できる資源を有効活用することでより良い学習の場を提供することができます。それが「インフォメーションコモンズからラーニングコモンズへ」という言葉に代表されるように、ラーニングコモンズに注目をされているということになるのだと思います。もちろん、その背景には図書館の利用率の低下、図書館に関する予算の低減、図書館職員数の削減という図書館における大きな問題への対応であることもあります。
ただ、私がちょっと驚いたのは、岡部課長からもお話がありましたが、ラーニングコモンズのもう1つの背景として、「知識の伝達」から「知識の創造」へという、学習観の変化についても触れられていることでした。「知識の創造」というところまではちょっと言い過ぎ感があるようにも思いましたが、これは学習科学の方でも学習は一方的に知識が教員などの知識がある人から学習者への「知識の伝達」観から「人間は人間や人工物との相互作用を通じて、知識を再構成する」という社会構成主義的学習観に1990年代を中心に注目されてきました。それに通じるものを図書館でも意識されていた(のか?)というのが驚きだったのです(もちろん、知識の伝達の意味や効果を否定するものではありません。学習というものは受動的なものではなく、好奇心というものをもつ人間の主体的な行動であると捉えることが重要です)。このような考えは教育学部などで教育研究に関わっていない限り、学部などで教育に携わっている教員もあまり知られていないことなのですが。このあたりの概要を知るには、IDE大学協会が出しているIDE-現代の高等教育でラーニングコモンズ特集がされていたので、参考になります。後半にある矢野先生が書かれた学習環境デザインとの関係ではTEALのお話しもあります。
しかし、ラーニングコモンズのような空間は図書館一部局でできるものではありません。ICT利用とも密接に関わってきますので、情報技術について長けている部局との連携は必要になります。本学では情報部が管理しているので、ここはなんとかなるのではないかと、私の勝手な想像ですが、思っております。空間設計も、社会構成主義的学習観の立場に立つ問題解決学習やプロジェクト学習などの学びを支援する可動式で、グループの人数によって組み合わせ方を変えることができる什器類、ゾーニングも大切です。「静かな空間」だけではなく、「仲間が対話を繰り返し、学びを発展させる場」を作ることはなかなか難しいものがあります。本学のラーニングコモンズでもそのような空間が図書館内につくられます。しかし、ラーニングコモンズで「最も」といっても過言ではない程の重要な点は学習支援にあります。海外の大学ではラーニングコモンズ内にキャリアセンターなどの学習支援組織が充実しています。日本の大学でもお茶の水女子大学の学生アシスタントLiSA、東京女子大学の学習コンシェルジェ、名古屋大学でも学習支援スタッフが配置され、学習支援体制が創られているということでした。ここはお金がない地方大学は頭が痛いところです。でもこれが抜けるとラーニングコモンズではないということになります。地方大学では「センター」という文言を気にするような小さな教員もいるので、さらに頭が痛いです。
ただ、本学のように教育工学において、心理学的な側面から協調学習、CSCL研究をしてきている研究者がいるところでは、運用面はプロではない部分もありますが、支援のデザインや体制を組むことは研究の知見を踏まえてできるのは、そういう研究者がいない大学に比べ、大きいことかもしれません。いろいろ考えています。支援に割くことができるリソースの制限の中、この学習空間を活かした学習支援の方法を。社会構成主義的学習観に触れた教育工学の文書や論文は1990年代後半あたりから増えてくるのですが、私は結構、教育工学の古典が役に立つなと思っています。古典はいいことが書いてありますね。
また教員向けのワークショップも必要だと思っています。昨日、東京大学の現代GPシンポジウムに参加してきましたが、東大でもKALSの教育利用普及に教員向けのサマープログラムをされたそうです。これは大切ですね。ただ、FD研修会によくある一方的な講義型はやっても仕方ないと思いますので、いろんな方法を考えたいと思います。その点、東大はうまくやってましたね。参考にしたいです。
ラーニングコモンズは魅力的な空間で、大学における授業内外の学びを支援するのに大変重要な役割を果たすと思いますが、それだけ教職員に負荷が高くなることは確実だと思います。新しい学びの形態ができるということはそれだけの新しい、それも自分たちが考えもつかないような問題や負荷が出てくる可能性は高いと思います。しかし、それを恐れていては何もできないですし、地方大学は大きな特色を出す大切な機会だと思います。
ラーニングコモンズの関係の雑誌を国内外の論文に当たりましたが、しっかりと研究されているものはまだ少ない状況だと思いました。私が読んだところ、The Journal of Academic Librarianshipの何本かの論文くらいだったと記憶しています(でも、海外誌は勉強になった。また日本と大学生のタイプが違うから、そのまま日本でどうかという話にはならないけど)。 まだまだこれからなのだと思います。今後、ラーニングコモンズを導入する大学は増えてくると思いますが、いろんな大学で活かせるような研究知見を出していきたいと思います。
ラーニングコモンズを考える時、ぜひ教育の研究者とも連携をして学習支援を考えてみてはどうでしょうか?

高等教育論入門が発刊されました


私は教育工学にいる身で、まさか高等教育に関する本の一部を執筆させて頂けるとは思いませんでした。本センターの青野先生よりお声かけ頂き、第18章 高等教育の国際化とeラーニングの執筆を担当致しました。ありがとうございました。

今も仲良くさせて頂いています、松河先生@大阪大学も第16章をご担当されています。

内容としては近年の高等教育の国際化の流れ、その流れの中でのICTの位置づけ、日本語教育のためのeラーニング(東京外国語大学と国際交流基金)、OCW(MIT)について説明しています。

#東京外国語大学のご担当様、国際交流基金の島田さん、MITの飯吉先生、
#東京大学の中原先生には画像や内部の状況など教えて頂きました。ありがとうございました。

もしよろしければ、ご一読頂ければと思います。どうぞ宜しくお願いします。

即戦力を履き違えてはいけないよね


今日は会社時代の同期と飲んだ。会社時代の同期の状況やらいろんな話しした。
関西文系採用ではもう2人しか残っていないらしい。なんか、会社って社員の意識としてもずっといるという意識ではないことを痛感した。
昨今、大学教育側では就業力、学士力育成とか騒がれていて、なんとかしなきゃって大学が側はかなり必死になっている。即戦力のある人材を育てないとってね。たちが悪いことにそういう動きに国が後押ししているというのはホントどうにもならない。
企業経験がある教員にとっては就業力、学士力という言葉とそれを指すものに対して、本当に違和感があることばかり。 そんな疑問を同期になんとなく聞いて見た。ちなみに彼は採用担当をしている。 こう言っては難だが、結構、私の考えに一致する事が多かった。やっぱり技能育成とかとか、アイデアマン、創造力など、大切なんだけど、一番コアになるのは自己調整学習であって、それが即戦力になるんだということ。
私はゼミとか専門教育が持てない教養系教員だからこそ、自己調整学習が学生ができるように育てるべきだと思っていたが、企業が期待しているところと一致した。信じていて良かった。 自分でゴールセッティングして、サブゴール立てて、方略を検討し、学習実施中も内省できる人。内省も次の計画段階にいかせるレベルに落とせる内省ができる人。それができれば私はどこの業界でも生きていけるのではないかと信じているんだけど。なかなか難しいけど。
たぶんね、コミュニケーション力とかさ、ほんと表面的だとずっと思ってたけど、企業の人から見ても、同じ意識だった。やっぱりさ、メタ認知を発揮して、自己調整学習力を出し、自分で成長機会を作る事ができる人の人材価値は高いね。 学生が自主的に学習コミュニティーを作り、自己調整学習力を高めていける組織、大学でいえば研究室になるんだろうけど、そこが大学教育における人材育成としてポイントになる。 就業力、学士力。まあ、そんな言葉使うのは結構なんだけど、重要なポイントを外さないようにしないといけない。そんな言葉で定義されていることに踊らされてはいけないと私は思う。アクティブラーニングとかも実践力がある人材育成の方法論としても注目されてはいるが、コラボレーションする力は自己調整学習の力と平行して育成されるべきだろう。

最近、教育大学、研究大学とか言われているけど、育成すべき人材のポイントは学生が目指すところが研究者だろうが、企業人だろうがなんだろうが変わらないと思うよ。

本学も早くその点に気づいて欲しい。

外国語学習における真正性とは?


「真正性」、英語ではAuthenticity

言語教育において「真正性」というのは、学習者の日常生活の中で見聞きするものや経験する、真実味があることを意味します。例えば、地下鉄の駅の放送をそのまま日本語教育の教材にすることは、地下鉄を日常的に使用する学習者にとって、「真正性」が高いことになります。

この「真正性」というのは、言語教育の中で重要性が主張されるようになってきたのは80年代後半に入ってからです。それまでは機械的に文法や語彙など教える学習が主流でした。実践的なコミュニケーション能力の定義やその育成については70年代から言われていましたが、「真正性」が必要という話が論文上で言われるようになって来たのは80年代後半あたりからです。

90年代に入り、ビジネスシーンで英語などの外国語を使用する状況が増え、特定目的のための英語教育であるESP(English for Specific Purposes)、特にEnglish for Business Purposes(EBP)の必要性が高まってきました。このあたりから「真正性」と言う言葉が論文上で急増してきます。ビジネス英語はEBPの最たるものです。

しかし、この「真正性」に関する言葉。研究者によって、定義の厳密度が違っていて、どこまでを真正性が高いものというのか、研究者や実践家について頭を悩ますものでした。例えば、学習教材の中に地下鉄の放送ダイアログがあるだけで、「真正性」が高いというものもありますし、リスニングなどで実際の放送を教材としなければならないとまで言う研究者もいます。タスクベースの言語教育においては、インターンのように、実際の現場まで行って、外国語を使用する業務を体験させないと、それは「真正性」が高いなんて言えないという研究者もいます。

「真正性」の定義について厳密度が研究者の間で違うのですが、現実的な教育シーンを考えると、学習者のニーズや日常生活における経験を分析し、教材に落とすことができるか。ここがポイントになると思います。

しかし、この「真正性」の効果について検証した研究は本当jに少ないです。本当に「真正性」が高い教材は学習効果があるのか?あるならば、どういうプロセスで学習効果が高くなるのか?

言語教育において、この点については議論がなされず、何かわからないけど、効果がありそうだという感じでESP、EBPが進んでいるように思います。

私がさらにポイントだと思うのが、「真正性」が高いと感じる条件です。例えば、修士1年の学生に「(締切直前までに間に合わせるという心構えでは)修士2年で痛い目に合うよ」と忠告しても、たぶん当該学生には伝わらないと思います。修士論文の執筆は大変つらいもので、実験計画、実験の実施、分析とこの2年間の努力の結晶と言えるものですが、日本の学生に限った話ではないかもしれませんが、まあ、普通、そこまで真剣に勉強する学生なんていないわけです。修士ならば学部に比べてもっと勉強してもいいものなのですが。しかし、ほとんどの修士2年の学生が体験することで、通常ならば「真正性」が高いと認識されて当然のことです。

ですが、学生によってはこの「真正性」を認識されず、聞き流されるというのは、当該学生にとっては「真正性」が高いとは言えないということになります。

自分の直接的な利益が関わる「緊急性」や問題の「深刻さ」というもの、これは「真正性」に包含されることかもしれませんが、何か「真正性」を高くする条件はあると思います。

この研究はなにか泥沼化しそうですが、評価する観点、実験デザインをしっかりすると面白いものが見えそうですね。

もし興味がありましたら、この文献は面白かったので、読んでみてください。

HERRON, C., MORRIS, M., SECULES, T. and CURTIS, L. (1995) A Comparison Study of the Effects of Video-Based versus Text-Based Instruction in the Foreign Language Classroom, The French Review. 68(5): 775-795

HUTCHINSON, T. and WATERS, A. (1987) English for Specific Purposes. Cambridge University Press, Cambridge, UK