九州大学 山田研究室

リフレクティブ・マネジャーを読みました

2010年12月23日

中原先生@東京大学から金井先生@神戸大学と一緒に書かれました「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省をする」を頂いた。中原先生、ありがとうございました。

内容としては企業内教育に何かしらで関わっている方に向けられたものだと思いますが、企業内教育に関わらず、アカデミックポストにいる人も、学生でも読むのが良いのではないでしょうか。特にアカデミックポストで、管理職に就いている方、それに準ずる教授・准教授級の先生には読んでもらいたいと思います。

導入は「上司拒否」という話から。マネジャーのやるべきことが数十年前に比べて、増えているという話。部下のメンタルケア的なことから何から何まで。それを見て、新人君たちは「マネジャーにはなりたくないね」という。きょーかんしますね。何に?ええ、その新人くんたちに。私もそうですから。管理職というものになること自体に興味は全くないのです。赤堀先生も私に「ヒラの教授ってのが、研究もできて、一番いいんだよ」と。

主な内容は「人は周り(上司・同僚・後輩・取引先など)との相互作用により学習する」ということなのですが、学習過程の中で内省(行動中の内省と行動後の内省)の重要性について金井先生、中原先生のご研究の成果やご経験から説明されています。しかし、大人の学び、特に内省によって引き起こされる有効な学びは苦痛を伴う。それは内省によっては今まで自分が気付きあげてきた経験や持論というものすら「通じないかもしれない」という内省が必要となります。これを「学習棄却」、「学びほぐし」、”unlearn”という言葉で説明されていました。内省によってはunlearnが求められ、新たな経験をすることが求められ、新たな持論を構築するプロセスが必要になる。この持論・経験というものが、ややもすれば、「おやじの説教」、「陳腐な格言」になり下がってしまうということがあり、”unlearn”が必要であることを理解する必要性について説明されています。

3章では、学びのきっかけになる仕組みとして対話による学習、特に組織における学習共同体とその意味、効果について説明されています。特に正統的周辺参加(Lave & Wenger, 1991)について、アフリカの仕立て屋の例を挙げ、説明されている。これは有名な話で、新人は衣服の作成工程で最後の工程(ボタン付け)から経験をし、どんどん作業の重要な部分(失敗が許されない部分)へ関わっていくことなるという話で、これにより、衣服の作成工程において、全体的な把握ができるようになるとしている。この本では特に内省というのがキーワードになっているので、その中でマネジャーがどのように学びに関わり、内省を促す仕組みを作るか話されています。

   

3章の最後の方で、中原先生が「理念の浸透」について説明しています。組織にはミッションや理念というものがあります。マネジャー級の人はそれを浸透させたいと思う。そのためには新人教育、社内報の発刊、社員研修で徹底するなどを行う。中原先生はこれらは学習効果がないとは言えないが、導管メタファーに沿ったもので、ただただ情報を受け手に流し込んでいるだけにすぎないと主張しています。私が自分の経験からも納得したのは、中原先生が引用されている高津尚志さんの言葉で

「会社は社員一人ひとりに理念を浸透させたいというが、社員は誰も理念を浸透させてほしいなんて思っていない」

ということです。これは本当にそう思います。私も会社にいた時に部長や社長が「うちの理念は●●だから、それに沿って、がんばるように」とか言われ、人事部からもよくわからん説明をされても、社員はそんなことに同調するわけないのです。私も覚えてないくらいですが、たいした話と思って聞いていなかったのだと思います。上司から強制され、言わされる理念なんてもんはそんな程度の価値しかないのです。そんなことで、人間の考え方、もちろん行動なんて変わるわけがないのです。この理念浸透について、どう考えるかということも触れられていました。

4章「企業がどう個人の学びを支援するか」では、「私の教育論」の弊害、「なんとなく研修」がなぜ行われるのかという話などについて説明されています。5章では企業「外」人材育成という題で、中原先生がされているラーニングバーを例に、企業外での対話と内省の仕組みについて説明がされていました。このあたりは読んでみてください。私はラーニングバーに参加したことがありますが、驚くほど企業の方が多く(参加希望者数が多すぎて抽選になるそうです)、興味深いお話を聞き、「対話」しました。ブログに書いて、アウトプットしました。本当に頭に残るんですよね。

この本の話は大学組織でも同じだと思います。大学でも組織によってミッションは異なりますし、大学が持つ理念にどう貢献するかということを把握しておかなければなりません。でも、末端の教員はそこまで考えているのか?というと考えていないと思います。今、FDということで、教員の資質向上のため、様々な方策を各大学で検討し、実施されてきています。しかし、それらは現状のところ、「導管」的な学びで、「導管」から抜け出せているところは数少ないのではないでしょうか。

FDの研究を進めるにあたって、この本は私に多くのヒントをくれましたし、私個人が今後、研究者としてのキャリアを築き上げるにはどうあればいいかということについても参考になりました。

4章にあった、中原先生の言葉がグッときます。

———–
あなたは、大人に学べという
あなたは、大人に成長せよという
あなたは、大人に変容せよという

で、そういう「あなた」はどうなのだ?
あなた自身は、学んでいるのか?
あなた自身は、成長しようとしているのか?
あなた自身は、変わろうとしているのか?
———–

前に私は「なぜに英語から逃げる」というエントリーをしました。結構、刺激的な内容だったようで、Twitter上でもいろいろ反応がありました。内容は修士学生に向けられたものですが、あれは私にも向けられているのです。私は今のところ、英語の文献を読んでいます。でもそれを止めた時、私は1つの学びを放棄したことになります。英語が逃げず、続けること。これは私が学んでいるのか?成長しようとしているのか?という問いを自分にもするきっかけになります。

この本は企業内人材を対象としていますが、それゆえに学習科学で言われている理論もわからない人にもわかりやすく書かれていますし、教育フィールドを研究分野としていない研究者も一度読まれるといいと思います。就職希望の学生にも良いと思います。金井先生と中原先生との対話という形で話が展開されているのが面白いです。そのため、話がどうつながっているのかわかりやすいですね。おもしろい本でした。勉強になりました。

ちょっと質問もあります。最初の「上司拒否」という話になりますが、文面上はマネジャーになることが良いというようにも解釈できます。理解違いしている部分があるかもしれないのですが、マネジャーの経験=上位の経験=一皮むけた経験という話のようにも解釈できました。そういう解釈で良いのか?

#私の世代も専門を極めることに価値を置く世代だと思いますね。業界にもよるのでしょうけど。
#もっというならば、「やりたいことをやりたい。」ということなのだと思います。まだ私たちの世代
#は「やりたいことをやるには修行が必要」であることは認識はしていると思いますが。
#WBSの就職活動特集で「やりたいことをさせてもらえる企業を選びます」と言っていた学生が
#いたけど、「いつかはさせてもらえるかもね(笑)させてもらえない可能性も大きいけど」と思って
#聞いてましたけどね。

あと、企業内人材育成関連の研究、特に組織の観点でみた研究のゴールというものが、やはりよくわからないのです。人材の情意面の改善ということで良いのでしょうか?本書でも人事部の人が「とりあえず研修」を依頼されるというお話があったのですが、この情意面の改善というところに重きが置かれているから、人事部の人たちもよくわからない要望を言われるということは考えられないでしょうか。とはいえ、客観的に何をもってうまくいったとするかというのも難しいというのも理解できます。数値的なもので研修のゴールというのも人事の人は言いにくいとも思います。単純に何かの技術を身につけるという話ではないので。

さらに数値的な評価をするにしても、企業内人材育成となると、失敗はできないですから。何か悪い数値でも出てくると公表できないところもあると思います。これが企業内人材育成に関する研究を難しくしている一つの原因だと思います。教育の観点ではまだまだ研究の数が少ない状況ということですので、今後、何か測る良い基準というものが出てくるのかもしれません。

などなど、質問ももう少しありますが、それはまた今度、直接中原先生とお話しする機会があればぶつけてみたいと思います。

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