Twitterでの議論は難しい


最近、Twitterでいろんな方と縁ができ、大変楽しませてもらっています。あまり気の利いたことはつぶやいていませんが、一度も会ったことがない方と意見交換ができるのはうれしいことですね。
しかし、ちょっと同時に困ったこともあるというのが正直なところです。それは議論です。私は議論は好きな方なのですが、Twitterではそれが難しいなと思うこの頃なのです。議論にはそれなりの主張があり、それを支える理由などが含まれます。情報ソースもあるでしょう。それはやはり140字という枠の中には収まり切れないというのがあります。また、突発的に議論を振られることになると、忙しいときには参加することができず、非同期的に使うにも、既にその議論が終わっているということが多々あり、なかなか難しいと実感するところです。
あと、もう1つ気になるのが、フレーミングです。いわゆる「誹謗・中傷」が連続することですが、Twitterに限らないのですが、テキストベースのコミュニケーションでは起こりうることです。社会心理学・社会情報学の方ではTwitterのようなComputer-Mediated Communicationの研究は結構進んでいます。大変興味深いことに、社会心理学の教科書的な本、グラフィック社会心理学で掲載されていたことで、Castella et al(2000)の調査によると対面、ビデオカンファレンス、電子メールでフレーミングに差があるのかどうか見たところ、電子メールが一番多く(全発言の4.72%)で、対面、ビデオカンファレンスでは1%未満ということだったそうです。また「くだけた」話し方の率は対面、ビデオカンファレンスでは4.66%、4.98%で、電子メールでは8.89%だったんだそうです。この原典に当たっていないので、実験デザインや背景などちょっと正確な要点が漏れているかもしれませんが、このようなデータが載っていました。興味深いですね。ちょっとまた原典に当たりたいと思います。
社会的存在感の観点から言うと、引用がしにくいというのは辛いところです。人の名前を明示した上で発言を引用するのはメンバーの社会的存在感を高めるので、Garrisonに言わせると良いこととされています。引用は議論の展開では重要で、社会的存在感がまさに学習に結びつける要点だと私は考えていますが、それが引き金でフレーミングに結びつく危険性も同時にあると思っています。フレーミングは一種、感情的発言が出てくるので、それも社会的存在感の定義内のことと言われれば、そうなのかもしれません。Garrisonはフレーミングと社会的存在感の関係については触れていなかったと記憶しているので、ちょっとこのあたりも調べてみたいところです。
しかし、Twitterでも時折、このような状況を見ることができるので、なかなか冷静な、しっかりとした議論というのは難しいのかもしれません。なにより感じたのは、話の文脈が140字では欠落し、議論参加者相互の誤解が生じてしまうことが痛いと思いました。
Twitterでは、対面での議論の土台として、お互いの考えの方向性の確認や事実関係の確認程度の質問と回答程度で抑えるのがベターなような気もします。あとはブレインストーミングのような、お互いのアイデアを基本的には批判をしないようなアイデア出しなど、いろんな方のアイデアを聞くことができるので向いていると思います。
そういう、柔らかな使い方がいいのかもしれません。熱血議論屋さんはちょっと時折、熱冷ましをしておかないと、フレーミングをしてしまい、よいことにはならないので、注意しないとです。私も議論屋の時があるので、注意しないと・・・