雑感:「学習する組織」を読んで

最近、協調学習に関係する文献について読んでいます。それは自身の研究のためでもあるのですが、それだけではなく、自分自身への振り返りとしても読んでいるのです。


そこで、ちょっととある本が目に入りました。中原先生@東京大学が企業内人材育成関係(たぶん、研究の本質は企業の特殊性を配慮しながらも、自主的に、継続的に組織内で学ぶということの本質について探究されているのだと思いますが)をご研究されて、ゼミでお話されているという影響もあり、また自身も前のエントリーで北村先生との雑談から学んだことなど、経験も鮮明に残っているので、ちょっと読んでみました。


高間邦男著、学習する組織-現場に変化のタネをまく



この本では、企業をメインに、周辺環境の変化に企業組織は対応して変化していかないといけないが、そのためには構成員が自律的に学習する組織に変化しなければならない。そのためには他者の価値観、ワーキングスタイルなどを相互作用を通じて認め合い、成果など皆が納得いく組織作りをしなければならない(それを組織変革と言っている)ということを言っているのだと思います。その方法として、組織におけるビジョンをリーダー(そういうことが語れるリーダーも必要ですが)が示し、それに対するメンバーの共感と同意、メンバー間の「共感的な話し合い」(個人の経験を語り、共有することで、メンバーの多様性を理解するプロセス)と「生成的なダイアログ」(「共感的な話し合い」に続いて出てくる、メンバーがお互いに意味や経験を共有しながら、探求するプロセス)を行うことなど、必要だとしています。


この本で出てくる話は企業の組織形成の話になっていながらも、教育工学に身を置く私としても身近な話があり、大変興味を持ちました。協調教育の分野で言われるような理論も裏側にはありますね。実際に「社会構成主義」という言葉も使われていましたし(もちろん、それだけではないですが)。


この本では組織変革という言葉を使って、「組織を変えるには」という目線で主にお話を切り出されていますが、私にとっては途中からの、組織を変えるというよりも、「学習する組織」の維持に関係しそうなお話(この本ではその組織の維持については明確には書いていないのですが。私の解釈です)の方が強く興味がありました。


これを読んで、「はっ!」と思ったのは、「ビジョン」、「貢献度」という2つの言葉でした。


「ビジョン」という言葉では、赤堀先生の「精神訓話」と企業時代のことを思い出しました。赤堀先生は年度初めのゼミで「研究室での過ごし方」や「研究をする姿勢」、「目指すべきゴール」についてお話して下さいます。これは研究室のビジョン、その価値と具体的行動と研究の在り方を示されています。ただビジョンにはメンバーからの共感がなければ、この本でいう、グループに対するエンゲージメントが下がるということになると思います。その共感を起こすには、上司とメンバーの物理的・心理的距離感が関係すると思います。


赤堀研究室の場合は教授室と学生室の間のドアは開いたままなので、風通しも良く、よく先生も学生室にきて、お話されます。研究の話もされますが、「元気にやってるか」とか簡単な呼びかけも学生にされます。こういうのは大事だと思います。研究とは関係ないところも含めた、気軽にお話する機会というのは、先生と学生の物理的・心理的距離感を短くすることができます。また学生の様子や考えを把握することが出来、学生の多様性を踏まえた対応が可能になる方法の1つだと思うからです。先生とお話しする機会が特別なものであるという意識を芽生えさせるのはあまり良くないことだと思います。学生が創り上げるものとはいえ、それだけでは迷いや不安もありますので、エンゲージメントがそこまで高くはならず、研究室の長である指導教官との距離感は大変重要な要因になると思います。


会社でも研究開発部にいたころは上司もメンバー目線でお話される方で、メンバーの考えは1つ1つ聞いて、ビジョンに反映されてました。「おもしろいものを作って、会社を盛り上げる」というビジョンはメンバー間で共有されていたと思います。たぶん、共感という意味では、会社を盛り上げるのではなく(メンバーも私も会社という組織に対する愛着はなかったと思います)、自分たちのチームを異色チームとして盛り上げるという意識だったと思います。なんにせよ、メンバーでの解釈は違っていましたが、意識は同じでしたし、グループに対するエンゲージメントは高かったと思います。


ただ研究室と会社で大きく違うと思われるのは、研究室、というより修士課程において、学生は必ずしも研究がしたくて来ているわけではなく(難関の審査を越えてきた学生はやる気がある学生が多いと思いますが)、会社に就職するときはやりたい仕事があるなど、何かしらの希望があるというのはあり、内的な動機付けの程度に違いがあるとは思います(もちろん、企業においても希望する職種に従事することができないことや、上司・メンバーに恵まれず、モチベーションが削がれるということは大いにあると思いますが)。


一方、悪い例としては同じく会社で, SE部で働いていた時は毎朝、部長から訓話があったのですが、この訓話では会社がとりまく厳しい状況についてお話があるのですが(寝坊することが多く、朝礼に間に合わずに、ほとんど聞いてませんでしたが)、それに対して、「がんばって乗り切ろう」と言われても、どうするのかというのがよくわからなかったですし、さらに、グループに戻った時も、上司から「部長もあのように言われているから、部長を支えてがんばるように」と言われると、これはビジョンも何もないです。大変悪いケースだと思います。


1つ思うのは、ビジョンを立てる間にはやることがあるということなんだろうなと思います。


「貢献度」というのも、重要なことだと思うのです。自分がこの組織に貢献していると感じるには自分の考えや行動がどうグループの意思決定や活動、成果に反映されたのか、目に見えるというのは大変重要だと思います。大変重要な尺度だと思うのですが、なかなか可視化しにくいところではあると思うのです。今はプロセスを評価するという話もありますが、起点となる発言や行動まで目が当てられているのか?という疑問は強くありますし、今の企業などの組織でここまで評価できているところというのはあるのかな?と思います。これが自分でも意識されないと、自分の活動のモニタリングとリフレクションも難しくなるのではないか、自主的に考えて動くことが難しくなるのではないかと思います。


サッカーでもそうなのですが、ゴールはもちろん評価されますが、アシストももちろん重要だと思います。でも、アシストをするためには、その前の起点となるプレーがあります。中盤を支配して、前線へ決定的なパスを出すというようなプレーですね。例えば、中盤の底でボールを持っている時に、右サイドから相手のディフェンスの裏をとって抜けようとしているプレイヤーに1本のパスを通す(このプレイヤーはきっとアシストをする)とか、そういうプレーです。サッカーでは評価されることがありますが、業務では評価されないことが多いと思います。ここは上司の視野の広さがモノをいうところでしょうか。


大学教育の分野では今、FDが学部の授業にも義務化されました。FDをするための組織ができ、そのための活動が様々なところで報告されています。ですが、それでも学内への浸透はそこまで進んでいるとは言えない状況にあると思うのです。FDはよく組織の問題に帰結されることが多いと思うのですが、FDに対するビジョンが見えなかったり、ビジョンの価値に対しての共感がないなど、組織形成のところに大きな問題があるように感じます。FDに関わることによる、成果判定という話ではなく、その前提が崩れているのではないかと感じる部分もあるのです(とはいえ、難しい話なのですが。企業と違い、問題点がなかなか数値化されるまでに時間がかかる世界なので)。


こういう話は企業の話として理解されがちですし、大学運営の話として扱われると思うのですが、今までの大学から変わらなければならない状況になってきている大学にも求められる話になっていますし、今こそ、教育関係で言われている理論や研究知見を実施してみる時なのかもしれません。