@IT自分戦略研究所
仕事の満足度は低下している
http://www.atmarkit.co.jp/news/200807/22/roudou.html
一時期、外資系企業のように、実力主義という言葉が流行りました。たぶん、私が就職活動をしているころでした。IT系雑誌も、リクルートが出している就職の雑誌にも「実力主義」という言葉が並んでいました。就職活動をしても、「御社の実力で社員の査定を行い、適材適所を考えるという人事制度に引かれました」とか、そんなことを面接で言う就活の学生も多かったです。「年功序列ではなく、自分の力を見てくれる」。確かに若手にとっては心惹かれる言葉に違いない。
みんなそんな人事制度に惹かれて、夢を持って、会社に入ったと思います。しかし、今は実力主義ではなく、職の安定志向が高くなってきているということです。
この記事ではさらに1990年代では経営環境が悪く、社員の育成、適材適所の配置の努力を怠っていたと書いています。それが今の仕事に対する満足度が全体的に低下してきている原因ではないかということです。
この適材適所における満足度って何でしょうか?そもそも適材適所とは?人事部が社員を査定して、その人の能力を発揮できる場所に配置するということでしょうか?それとも社員の興味・関心があるところに配置するということなのでしょうか?これはなかなか難しい問題です。
最近、就職活動している学生は「やりたいことがあるので、それができる部署に配置してほしい」とか、「そういう配置をしない企業には入らない」とか言っている人もいます。自分がやりたいことができない配置を「適材適所」ではないと言います。それはどうなのでしょうか?私は企業では自分がやりたいことができる部署に配置されることはほとんどないと思った方がいいと思います。
企業では全体利益、組織としての営利活動として、社員の配置を考えます。もちろん社員の要望も聞きはしますが、優先は組織の観点です。自分が納得できない仕事をさせられることも多いと思います。しかし、見方を変えると、楽しいものだったりします。業務資料の作り方だけではなく、他の組織にはどういう人がいるのか、そういう人たちと仕事するにはどうすればいいのかというコミュニケーションに関係することや、いいミーティングと悪いミーティングを経験し、議論が進むミーティングの方法を考えること、下請けさんとミーティングして、他の会社の状況を知ることなど、将来のキャリアに役に立つことがいっぱいあります。目の前のことに役立つか、というのではなく、「将来を見越して、学ぶものがあるか」という満足度もぜひ考えた方がいいと思います。
その考え方は会社を辞めて、大学院に入学してからも役に立ちました。いろいろあるのですが、私は5年間の大学院生活で、大変多くのことを学んだと思います。
研究室の学びでも書いたのですが、ただ研究ができればいいわけではない。自分が楽して、好きなことができればいいわけじゃない。それを求めるならば大学院になんて来ない方がいいと思います。ただリソースを提供してくれるだけの研究室。なんてさみしいことなのでしょう。先生、OB/OG、上級生、同級生、後輩と一緒に研究室と専攻を盛り上げていく活動を行っていく、これを通じて、仕事の仕方やコミュニケーション能力、マネージメント能力を磨いていくことが研究室に所属して研究する意味だと私は思います。その中には自分がやりたくないこともいっぱいあると思います。ですが、ここから学ぶことができるのは、その時にしか学ぶことができない重要なエッセンスがあります。
最近、企業は大学院卒業の新人雇用について冷めた目で見ています。それは専門家育成という観点から中途半端な育成をされているという考えが広がっているからです。ITのスキルなんて、家に帰って勉強すればいいのです。ヲタクになるまで勉強してください。そんなことよりも、上記のことをしっかり経験している人こそ、企業も大学も求めていると思います。
企業も大学院も根本的に違いなんてないですね。この研究室での学びの価値を認識し、活動させていくことが研究室での満足度に結びつきます。学ぶものがあるか、という満足度。大切ですね。
仕事の満足度は低下している
http://www.atmarkit.co.jp/news/200807/22/roudou.html
一時期、外資系企業のように、実力主義という言葉が流行りました。たぶん、私が就職活動をしているころでした。IT系雑誌も、リクルートが出している就職の雑誌にも「実力主義」という言葉が並んでいました。就職活動をしても、「御社の実力で社員の査定を行い、適材適所を考えるという人事制度に引かれました」とか、そんなことを面接で言う就活の学生も多かったです。「年功序列ではなく、自分の力を見てくれる」。確かに若手にとっては心惹かれる言葉に違いない。
みんなそんな人事制度に惹かれて、夢を持って、会社に入ったと思います。しかし、今は実力主義ではなく、職の安定志向が高くなってきているということです。
この記事ではさらに1990年代では経営環境が悪く、社員の育成、適材適所の配置の努力を怠っていたと書いています。それが今の仕事に対する満足度が全体的に低下してきている原因ではないかということです。
この適材適所における満足度って何でしょうか?そもそも適材適所とは?人事部が社員を査定して、その人の能力を発揮できる場所に配置するということでしょうか?それとも社員の興味・関心があるところに配置するということなのでしょうか?これはなかなか難しい問題です。
最近、就職活動している学生は「やりたいことがあるので、それができる部署に配置してほしい」とか、「そういう配置をしない企業には入らない」とか言っている人もいます。自分がやりたいことができない配置を「適材適所」ではないと言います。それはどうなのでしょうか?私は企業では自分がやりたいことができる部署に配置されることはほとんどないと思った方がいいと思います。
企業では全体利益、組織としての営利活動として、社員の配置を考えます。もちろん社員の要望も聞きはしますが、優先は組織の観点です。自分が納得できない仕事をさせられることも多いと思います。しかし、見方を変えると、楽しいものだったりします。業務資料の作り方だけではなく、他の組織にはどういう人がいるのか、そういう人たちと仕事するにはどうすればいいのかというコミュニケーションに関係することや、いいミーティングと悪いミーティングを経験し、議論が進むミーティングの方法を考えること、下請けさんとミーティングして、他の会社の状況を知ることなど、将来のキャリアに役に立つことがいっぱいあります。目の前のことに役立つか、というのではなく、「将来を見越して、学ぶものがあるか」という満足度もぜひ考えた方がいいと思います。
その考え方は会社を辞めて、大学院に入学してからも役に立ちました。いろいろあるのですが、私は5年間の大学院生活で、大変多くのことを学んだと思います。
研究室の学びでも書いたのですが、ただ研究ができればいいわけではない。自分が楽して、好きなことができればいいわけじゃない。それを求めるならば大学院になんて来ない方がいいと思います。ただリソースを提供してくれるだけの研究室。なんてさみしいことなのでしょう。先生、OB/OG、上級生、同級生、後輩と一緒に研究室と専攻を盛り上げていく活動を行っていく、これを通じて、仕事の仕方やコミュニケーション能力、マネージメント能力を磨いていくことが研究室に所属して研究する意味だと私は思います。その中には自分がやりたくないこともいっぱいあると思います。ですが、ここから学ぶことができるのは、その時にしか学ぶことができない重要なエッセンスがあります。
最近、企業は大学院卒業の新人雇用について冷めた目で見ています。それは専門家育成という観点から中途半端な育成をされているという考えが広がっているからです。ITのスキルなんて、家に帰って勉強すればいいのです。ヲタクになるまで勉強してください。そんなことよりも、上記のことをしっかり経験している人こそ、企業も大学も求めていると思います。
企業も大学院も根本的に違いなんてないですね。この研究室での学びの価値を認識し、活動させていくことが研究室での満足度に結びつきます。学ぶものがあるか、という満足度。大切ですね。

